やっと、やっとこさここまで来た。長い道のりだった。だが、全ては始まったばかりだ。
2011年2月20日、成都のsims cozy guesthouseで朝を迎えた。目を覚まして一番始めに行ったことは空模様の確認で、成都はグレーのもくもくした多くの雲に覆われていた。雨が降ってもおかしくはない様子だったが、生憎成都の空はいつもこんな感じ。これで出発を延期していたら、永遠に旅立てないように思われた。
どっちつかずの気持ちで朝ごはんに麻婆豆腐を食べて部屋に戻り、寝ている友人たちを起こさないように準備をした。支度は昨日に概ね終わらせてあったので、乾かしている洗濯物をしまえば終わりであった。6つにバックをフロントの前に置いてある自転車のところまで運び、自転車に括りつけた。
もう出発が出来るというときに、宿で仲良くなった友人が起きてきた。宿に併設されているレストランで水を飲みながらちょっと話す。今日もう発つよ、という言葉を自らの口から発した後は、ようやくそんな気持ちになってきて、ちょうど良い具合であった。
仲良くなった働いている宿のスタッフと2人に見送られて宿を後にした。約1カ月ぶりに漕ぐ自転車である。その割には違和感もなく、身体はまだ自転車を漕ぐことを覚えていた。ペダルに力を込めて自転車を走らせる内に、どっちつかずだった気持ちが完全にチベットの方に向いた。それまでは成都の宿の居心地の良さと、そこにいる楽しい仲間たちに少々未練があり、後ろ髪ひかれる思いだったのだ。もうちょっと滞在しようかな、なんていう淡い期待を断ち切った。
成都から遠ざかり、やや車が減って走りやすくなってきたところで、様々な想いがまるで降っては溶けていく雪のようにふわふわと現れては消えていった。ここまでの長い道のりで蓄積した期待は、スタートラインに立てた喜びに変わった。
出発前の予定ルートを見てみると、東アジアで行きたいところはアンコールワット、キナバル山、九寨溝、そしてチベットと書いている。それはアメリカ大陸を経た後でも変わっていなかった。2010年の10月にカンボジアから始まったアジア編では早々にアンコールワットに行き、キナバル島は値段の関係で諦めたので、その後は全てチベットのための移動だった。というのはチベットを走るのは季節的に冬を越えた3月を予定していたから。それ以前だと僕にとっては寒すぎると考えたのだ。
これ、といって行きたい場所は多くなかったが、東南アジアの国々を回ってみたいと思っていた。3月まで時間もあったためにカンボジア、タイ、ラオス、ベトナム、をゆっくりと見て回った。その日々を楽しんでいたことは間違いないのだけれど、ここを見たい!という強烈な意志はなかったため、刺激に欠けていたのは事実。東南アジアは想像通りの面白さはあったけど、それは想像以上ではなかった。そこに行けると考えるだけでわくわくするところではない場所に費やす時間としては少々長過ぎて間延びしたのかもしれない。そんな中でタイにいるときに3人もの別の友人が日本から遊びに来てくれたのは、タイミングとしても良かったのだと今更に思った。
ベトナムを抜けて向かったのは香港。僕のチベットの走行プランは香港で中国の3カ月ビザが取れる前提で組み立てられていた。それが取れないと分かったとき、全てが音を立ててがらがらと崩れていくのを感じた。今後の構想を再度組み立てるのに、心の持っていく場所も含めてえらく時間がかかった。
1度は、1カ月間ではチベットは走れないという結論を出し、ならば1月でも暖かい地域であり、兼ねてから行きたかった中東に飛ぼうと思った。走行ルートや航空券のチケットの調査すらしていたのだ。そんな中、1つのチベット情報が手に入る。2010年11月にチベット北側のゴルムドからネパールのカトマンズに自転車で抜けた四宮さんからのメールであった。
香港で1ヶ月ビザを取り、飛行機とバスを駆使して即効でゴルムドまで行き、1ヶ月でネパールまで抜けましたよ、と。この情報によって再びチベットに行ける構想が蘇った。現在のエジプトから始まった中東での民主化運動を見ると、真に朗報であったと言える。チベットに向かわなければ、今頃中東にいただろうから。
中国に入った後は1ヶ月後にゴルムドでビザの延長をして、チベットを走り抜ける予定を立てた。ゴルムドまでの移動の1ヶ月の間でやりたいことは3点。実はアジアではアンコールワットよりも行きたかった九寨溝に行くこと、よりチベットに近い場所で最新の情報を得ること、高度順応を行うこと、であった。そこでチベットへの1つの玄関口とも言われる成都に行き情報収集をすることから始めたのだ。
成都ではsims cozy guesthouseに泊まった。期待通りそこにはチベットの情報が溢れていた。今まさにネパールからチベットを抜けて来た旅人や、成都を拠点にしてチベットに何度も写真を撮りに行っているカメラマン、また多くの旅人がノートの情報を残していた。そこで現在の状況ならばチベットに行くことは可能であると認識し、成都の北に約450kmに位置する九寨溝を経由し、高度順応をしつつゴルムドにいざ発とうとしていた前日のことであった。
カメラの盗難に会う。これによって再び予定を変更することになる。次なるカメラの検討・入手に時間がかかり、その間にバスで九寨溝に行くことが出来た。ならばチベット北側のゴルムドからではなく、東側の成都から直接行ければわざわざゴルムドまで行かなくて済む。ゴルムドまで行くのはビザ延長まで1ヶ月の時間があったのと、成都とゴルムドの間に九寨溝があったからなのだ。調べてみると幾らかの懸念事項を抱えてはいても、成都からも走り抜けられそうである。
このような紆余曲折を経てついに成都から漕ぎ始めたのだ。想いを馳せずにいられるだろうか。時間をかけてじわりじわりと蓄積された期待が、ついに叶えられる方向に動き始めた。
チベットの道
・[チベット]1.全ては始まった
・[チベット]2.まさか再び会えるとは
・[チベット]3.何が足りないのかが分かった
・[チベット]4.そうは問屋が卸さない
・[チベット]5.必要な時間
・[チベット]6.チベットとはこんなところだよ
・[チベット]7.風邪+高山病+峠+夢
・[チベット]8.警察に連れて行かれた
・[チベット]9.思い込み
・[チベット]10.標高4000mにて絶景の道
・[チベット]11.チベット人の家に泊めてもらう
・[チベット]12.出発して5分後にチベット人の家に招かれる
・[チベット]13.鳥葬を見て死を想う
・[チベット]14.勇気ある撤退と旅のパートナー
・[チベット]15.チベット人の結婚式に参加
・[チベット]16.浴室に泊まる
・[チベット]17.チベットの家づくりに参加
・[チベット]18.チベットの学校潜入
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