[チベット旅行]13.鳥葬を理塘で見て死生観が変わる

鳥葬、って聞いたことありますか?

日本で人が亡くなったときに行う葬令の多くは火葬である。世界には様々な形式の葬令があって、例えば土葬は日本でも近代までは一般的であったと言う。僕が見たことがあるものは、2006年にインドのバラナシを旅したときに、薪によっての火葬と、ガンジス川を流れていく水葬の死体である。火葬の方は遠目の位置からで、薪や火に隠れていた死体の見えたところはほんの一部。水葬の方は白い布でぐるぐる巻きにされていたので直接に死体を目にしていない。だが、今回は違った。

成都にいるときに、理塘で鳥葬が行われているという話を聞いた。ラサを目指す道の途中に理塘はあり、この町がチベット自治区に行くか行かないかの分岐となる町なので、そのための情報収集を行っていた。月・水・金の朝に行われる鳥葬を見に行く機会は十分にあり、かねてから興味を持っていたことだったので行ってみたのだ。

鳥葬とは遺体の処理を鳥類にゆだねる葬法で、日本では鳥葬と言っているが現地では天葬と呼んだりするらしい。それは死者の肉体と霊魂は鳥に食べられて天に運ばれると信じられているからである。また、鳥葬が行われるのはチベットという標高が極めて高い土地で、火葬をするのに必要な薪の入手が困難なこと、土葬の後に死体が土に還るのに時間がかかることなど、その他の葬法よりも合理的という点が言える。

朝8時半から行われるという鳥葬を見に行くために、8時に大通りでタクシーを拾ってその場所へ連れていってもらった。15分もかかっていないくらいの距離で、3人で20元(約250円)だった。

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開けた荒れ地の中に車が2台。そこで焚火を輪になって囲むチベット人が15人ほどいた。僕らもそこに混ざって待つこと1時間弱でもう1台の車がやってきた。お坊さんがその車から現れ、そして葬令が始まった。

白い布に包まれた死体は車から小川を隔てた少し離れたところに置いてあった。お坊さんが来るまでの間もハゲタカ(ハゲワシかも)が狙っていたので、1人のチベット人がずっと見守っていた。お坊さんがその布をはだけさせると、脂肪分がなくなって骨と皮だけになった若い男の死体が姿を示した。そういったことをしている間に鳥たちは死体を囲むように輪になり、作業が進みにつれて少しずつ輪が狭まっていった。時折喧嘩をしている鳥もいた。

僕にとってそのような生々しい死体を長時間見たのは初めてで、血の気が引いていくのを感じた。そんな中でお坊さんはその死体の髪を切り始めた。髪を一通り切り終えると、ナイフで腕に切り込みを入れて行く。次に足、次に胴体、と。これは鳥達が食べやすいようにするためである。見ているのが辛くて、見ることを止めようかと思った中、ふとあるシーンを思い出した。漫画「あしたのジョー」の主人公矢吹丈が、最後にホセ・メンドーサと戦っている試合である。ヒロインの葉子が一旦は見るに耐えずに会場から逃げる。しかし彼女は責任をもって最後まで見届けなければ、と再び試合を観に戻るのだ。彼女と僕の状況は違うけれど、一旦見始めた儀式から容易に逃げ出すのは良くないように思えた。鳥葬は本人が望んでのことと聞いたから、その想いから目を背けずにいることが少しでも彼の気持ちを汲むことになると感じたのだ。

切り込みを入れられた身体からお坊さんが離れると、一斉に寄って集る鳥たち。その背中で死体は見えないが、嘴で強く突かれている様子がよく分かる。簡単には食べることが出来ないようで、お坊さんが死体をさらに刻んでいた。それが何度も繰り返されて死体が鳥のお腹の中に収まっていった。どうにも死について想わずにはいられなかった。

僕は今回の世界一周に旅立つに当たって遺書を書こうか悩んだ。それは世界を自転車で旅することは、少なくとも日本で生活するよりは死の危険が高いと考えていたから。やりたいことだから仕方がないにせよ、もしもの場合に遺書を書き残しておく検討をしたのだ。最終的な結論として遺書を書いてはいないのだけど、そういった覚悟のもとに旅を決意した経緯がある。

思えば死生観について大きな変化を得たのは17歳のときのオーストラリア留学だった。留学から半年後に1度変更したホームステイ先には多くの留学生がいた。27歳の台湾人、26歳の韓国人、25歳のノルウェー人、22歳のタイ人、同じく22歳の香港人。夜な夜な語り合っていた中で徴兵についての話が出た。台湾人と韓国人は徴兵経験済で、そのときにタイは徴兵が抽選だということを知った(今はどうか知らない)。その2人の過酷な経験談の中で、韓国人の彼は訓練の間に友人を亡くしたという。そのときの英語は、みんな勉強中で拙いものだった。言いたいことの半分も言えてなかっただろうし、さらにそれを全部理解していたとは言えない。それでもその臨場感といったら信じられない程で、半分泣きながら話していた彼の様子は未だに忘れられない。

日本で普通に高校生をやっていた僕にとって、友人から生で聞いたその衝撃的な話で人生観が変わったといっても差支えがない。それから変わっていった、の方が正確な表現のような気もする。その話が身体の隅々まで染み込んで行き、自分の生き方に反映されるまでにはさらなる時間と経験を必要としたから。人はいつ死ぬかなんて分からない、と言葉では簡単に言えるけれど、それが少しでも生き方に繋がってくると驚く程見えるものが違ってくる。自分だって、家族だって、友人だって、いつまで生きられるか分からないのだ。僕の頭の中にいつもある、これが最後かもしれないっていう想いは、決して口には出さないけれど、動き出す原動力になるし、優しくしようって思えるときもある。

きっと始めて人生観に大きな変化をもたらしたのが17歳のときの留学なのだ。その後はそれを深堀りしていったように思う。そんな中で遺書に書こうと思っていたことの1つが、死後は家族に任せます、ということ。正直自分が死んだ後のことはどうでも良いと思っていた。ドナーになってもいいと家族に伝えてあるし、葬式をしなくても良い。骨は墓じゃなくて庭に埋めてもらっても海に投げてもらってもいい。兎に角お任せします、と。

今回鳥葬を見て感じたことがある。死後のことはどうでもいいと思っていたのにも関わらず、自分の葬法として鳥葬はちょっとやめて欲しいな、と本能的に感じたのだ。日本では法律上出来ないし、僕の家族があえて鳥葬をするかといったらまずやらないのだけれど、死後のことが気になったという点で新しい気付きだった。これがきっかけで死生観が形成されていく。それはもう数年、数十年という時をかけて。そんな気がした。

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チベット式の土色の建物で埋め尽くされた理塘の街並みは自然と調和している印象を受け、今まで行った町の中でも高ランクに属する。僕は相当に気に行った。

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料理人になって27年間というチベット人のオーナーがやっているこの店は、中国で行った飲食店の中で最も美味しかった。チベット料理はメニューにないが、お任せで作ってくれる。その場合は15元(約200円)であった。この店を見つけてからは、この店にしか行っていない。理塘は狭い町なので、是非見つけてみて欲しい。

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泊まったポカラゲストハウスのドミトリーは窓が大きく開放的で気持ち良かった。wifi付きで15元(約200円)と値段も安い。オーナーのチベット女性のハナさんも英語ぺらぺらの素敵な人。おすすめ。

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理塘は何もない町だけど、好きな町。

チベットの道

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