「中国人?」
「んにゃ、日本人だよ。」
どうやら中国人でさえ珍しいようであった。これはチベットの学校を散歩していたときの学生との会話。理塘とシャングリラの真ん中あたりの糸城の学校である。この街は谷間を流れる川の近くの山を切り開いて作られた街で、茶と緑に彩られた棚田と傾斜沿いに連なる家が美しい。家が段々になって広がる感じは、チリのバルパライソを思い出させた。
僕は子供が好きなので、ふらっと各国の学校に入ってみることがある。子供たちのキラキラした目に魅かれるのだ。なんだかイケナイことをしている気分になる瞬間もあるが、いままで一度も咎められたことはないし、悪意はないので許されるだろう。教室に案内されて子供たちと一緒に授業を受けて映画を観たこともあるし、そのときの教師とは今も連絡が取れるくらいの仲。子供が好きなのもあるけれど、学校が好きなのかもしれない。
野外にある掲示板としての機能を持った黒板に、生徒たちがおそらく学校のニュースなどを書いていた。その子たちに話しかけられたのが冒頭の会話。糸城はチベット人の街なので、この学校に中国人が来ることも珍しいのだろう。日本人は尚珍しく、彼女たちが初めて見た日本人が僕である可能性は高い。学校内を散歩する旅人はそう多くないだろうし、そもそも糸城はガイドブックには載っていない規模の街なのである。
彼女らに案内してもらって教室に入った。流石に校舎内を1人で歩くのは気が退けたので、ラッキー。黒板は左3分の1が英語、中央部が中国語、右3分の1がチベット語で書いてある。彼女たちは母国語のチベット語をの他に2ヶ国語を勉強しなければならない。日本人は英語だけでひーひー言っているのに。
校舎の写真。男子寮女子寮といった建物が併設されていたので聞いてみると、彼女らは寮生活を送っているようだ。きっと糸城に住んでいる人は通うんだろうけど、周辺の街に住んでいる子供らは寮生活になるんだろうな。自転車で走ってきて見かけた小さな街からここまで毎日歩け、というのは難しい話だから。
肯定は土ではなくコンクリートで、バスケットが流行っていた。僕はほっつき歩いていたのは夕刻だったが、きっと寮住まいの子たちは日が暮れるまでバスケをするのだろう。
バスケットをしていた子供たち。あんまりうまくなかった笑。
学校とは関係ないけど、糸城で泊まったホテルで働いていたチベット人の女の子2人。フロントの料金表には120元(約1500円)と書いてあった部屋を20元(約250円)までまけてもらった。閑散期とはいえ、いいのか。ダブルベッドが2つある大きな部屋で、流石に豪華だった。
成都からチベットに向けて出発したのが2月20日。理塘にてチベット自治区行きを断念してシャングリラ方面に南下し、3月13日にその道中のチベット人の街であるここ糸城に着いた。シャングリラに行ってみたものの、そこはもう都市と言って差し支えがない規模で、僕が今まで自転車で立ち寄って来たチベット人の街とは異なるものだった。よって、チベットチャリと区分するのはここまでにする。
チベット自治区に心残りはあるものの、四川省のチベット文化圏も充分にチベット文化が色濃く残っていた。家に泊めてもらったり、結婚式に参加出来たり、家づくりに混ぜてもらったりと、チベット人との触れ合いも多くあり大いに満足。チベット自治区に入るのに最もメジャーでラサへの鉄道沿いに続くゴルムドからのルートは、もはや漢民族が大量に定着しており、チベット自治区だけど見るのは漢民族ばかりなんて話を聞いたりする。そういう意味では、こちらのルートを走ったのは良かったのかもしれない。それでも、チベット自治区チャリはいつかリベンジ出来たら、と思う。情勢をきちんと見極めて、良いタイミングでまた遊びに来たい。
チベットの道
・[チベット]1.全ては始まった
・[チベット]2.まさか再び会えるとは
・[チベット]3.何が足りないのかが分かった
・[チベット]4.そうは問屋が卸さない
・[チベット]5.必要な時間
・[チベット]6.チベットとはこんなところだよ
・[チベット]7.風邪+高山病+峠+夢
・[チベット]8.警察に連れて行かれた
・[チベット]9.思い込み
・[チベット]10.標高4000mにて絶景の道
・[チベット]11.チベット人の家に泊めてもらう
・[チベット]12.出発して5分後にチベット人の家に招かれる
・[チベット]13.鳥葬を見て死を想う
・[チベット]14.勇気ある撤退と旅のパートナー
・[チベット]15.チベット人の結婚式に参加
・[チベット]16.浴室に泊まる
・[チベット]17.チベットの家づくりに参加
・[チベット]18.チベットの学校潜入
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