カンパラの安宿ムクワノゲストハウスとウガンダの現地ビール「チブク」

ラフティングを終えた後、その会社が運営するキャンプ場にしばらく滞在した。アフリカでは貴重なWifiが繋がるキャンプ場だったからだ。首都カンパラ以後のルートがどうにも決まらないため、それについて考えていたのだ。心がしっくりくるまで待つこと一週間、「喜望峰を目指す」という次なる針路を決めた。

テントの修理をお願いした日に出発したジンジャ。自転車を漕ぎだしたのは昼過ぎだった。ジンジャからカンパラは頑張れば一日で走れる距離だったが、間で一泊することに。カンパラに近づくにつれて車の数が増えていった。

辿り着いたカンパラで車と人の数にびびる。どこもかしこもびっしりと詰まっており、自転車を進めることが出来ない。目星をつけていたムクワノゲストハウスがなかなか見つからず、道を尋ねる度にお金を請求されたり、からかわれたりで、肉体的にも精神的にもえらく疲れた。

宿のチェックイン。狭い階段を3往復し、自転車と荷物を部屋まで運び込む。ベッドに倒れ込んでぼ~としたい衝動に駆られたが、日が出ている内に出かける。郵便局に行って葉書を出すのだ。金曜の今日中に出しておきたいのは、土日が休みだったら困るから。

ごみごみとした道を彷徨って辿り着いた時刻は16時。営業時間が16時まででも間に合うようにと最後は走った。ドアのところに書いてある営業時間は18時か19時だかで、良かった~と胸を撫で下ろす。しかしドアに手をかけても開かないではないか!なんでじゃ!!

警備員に聞いてみると、本日は祝日だと言う。へ?そうなの?幸いにして土曜の午前中に営業しているので、明日来ることにした。せっかく身体に鞭うって来たのに~。そんなわけでなんだか調子が出ない。そんな中で目に着いた中華料理屋さん。メニューを見せてもらうとそれなりのお値段だが(ウガンダの物価と比べてね)、ここで打ち上げをすることにした。なんせカンパラはゴールなのだ!

喜望峰に行くって決める前、アフリカのゴールはカンパラのつもりだった。ここから飛行機を使ってどこかへ飛ぶことが有力だったのだ。その想いでカンパラを目指してきたし、喜望峰を目指すと決めた今においても、東アフリカ北上のゴールはカンパラなのである。旅を続けているとこういう言い訳を作るのがうまくなるよね。ま、散財する名目があることだし、パーといこうじゃないか。

中華をたらふく食べて気分を一新したところでカンパラをぐるぐる回る。さすがに首都だけあって今まで走ってきたウガンダの街と比べると物の数が桁違い。ただ、ナイロビやダルエスサラームには劣る。経済力が如実に表れていた。

翌日の朝は雨が降っていた。ちょっと様子を見て降りやんだところで出発。数泊してもいいかと考えていたカンパラを一泊で出たのは、どうにも肌に合わなかったから。ウガンダの声援や人の優しさに癒されてきた中で、カンパラでは嫌な感じの人が多かった。相性が悪い場所からはさっさと離れてしまおう。

郵便局で葉書を出して、カンパラを発った。ここがアフリカ大陸南下の起点となる。喜望峰に向かって、レッツゴー!


道中のキャンプサイトは7000シリング(230円強)。ちなみにドミトリーが10000シリング(約340円)だった。


チブクという現地ビール。が、ビールとは別物。発酵させたもので生温かい。


僕も飲ませてもらった。


3000シリング(約100円)のチキンと2500シリング(80円強)のビール。ベル(BELL)はウガンダのビールで美味しい。

タンザニア、ケニアから引き続き、相変わらず日本車が走る。


バナナはいいおやつ。一本2円くらい。


カンパラ到着。人と車に溢れている。


外は小雨が降っており、道路には水がたまっていたけれど、出発!


宿についていた朝食。


ムクワノゲストハウスに泊まった。シングル17000シリング(600円弱)でトイレシャワー共同、wifiなし。タンザニアとの国境近くにある孤児院ニュートピアの情報を得られるのがココ。(2012年4月)

建設中だった建物。数年後にはこのようなビルであふれているのかもしれない。







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管理人のたかです。1984年4月20日生まれ。不動産会社での開発業、自転車世界一周、地域おこし協力隊を経て、愛知県新城市の古民家で宿泊事業をはじめました。SNSでフォローしていただくと最新記事を読むことができます。よろしくお願いします。