[チベット旅行]9.思い込みを捨てて自由な発想を!しなければならないことなどない!

「チベット自治区を自転車で走るのを止めることにした。」

雅江で警察から解放されて昼ごはんを食べているときに、フランス人のセルスがこう切り出した。ロシア人のヴィタリーも同様に止めると言う。なぜかと問うと、1点は思った以上に警察の警戒度が高いこと、もう1点はビザによって期間が限られていることで毎日の走行に義務感が生じていること、と言う。僕もそれは強く感じていた。

チベット自治区に入るにはパーミットという許可証が必要である。また、その許可証を得るためにはガイドを付けなければならず、ツアーという形式が必至となる。実際のところ闇で潜り込む旅行者は多く、ラサに行ってしまえばなんとかなる、というのが通説である。僕が成都で滞在していた間に出会った旅人達の何人かは、パーミットなしでチベット自治区内を回っていた。ただ2008年のフリーチベットの騒動以来、中国政府の監視の目は厳しさを増している。パーミットがないと泊めない宿や入れない観光地も増加しているようだ。

非常に簡単に書いたが、チベット自治区内に入るというのは上記のようなルールと状況がある。そんな中、自転車でチベットを回るのはどうか?簡単に調べただけでも、多くのサイクリストがパーミットなしで自治区を走っている。おそらくは自転車で走れば日数が増えるのでツアー料金は非常に高額になるし、なによりもガイドを付けて車と一緒に走っても自転車旅の面白味がないからだと思う。僕もパーミットなしでチベット自治区を走ろうと考えていた。

皆がやっているから同じようにやって良いと思ったわけではない。ただ、幾つかの情報では自転車に関してはそこまで厳しくなく、許される範囲な感じがしたからだ。それならばツアーではなく自由に旅がしたい。そう思ってのことだった。きっとセルスとヴィタリーも同じように考えていたのだろう。しかし自治区に入る手前からの警察のピリピリした空気を肌で感じ、このまま自治区に入って警察に神経を使いながら旅をしても面白くないと考えたのだと思う。

また、僕らは同日にビザを延長し3月27日までに中国を出なければならない。そのために時間はかなり限られており、ゆっくりしてはいられない。昨日はセルスも僕も体調不良にも関わらず走ったが、ちっとも楽しくなかった。身体の状態が芳しくなければ休みたいし、良い場所があったら滞在したい。なにより時間が限られており、迫ってくることが精神的に旅を詰まらなくしていた。

そういった理由から2人はチベット自治区に入るのを止めると言う。まさに自分も感じていたことだったので、雅江を出て走り始めた後、僕は一体どうしたいのかを考えずにはいられなかった。懸念事項が頭をぐるぐる回っている状態で漕いでいても楽しくない。今のペースだとラサまで自転車で走ることは出来ないから、もっともっと漕ぐようにするのか。自治区内でバスは捕まえられるのか。チェックポイントは切り抜けられるのか。4月上旬に友人と待ち合わせているネパールまでの移動はうまく行くのか。

そもそもなぜこんなことになっているのかを考えると、自分自身が「ラサまで自転車で走って、ネパールへ必ず抜けなければならない。」という思い込みを持ってしまっているからだった。勿論それがうまくいかない場合のことは考えているのだけれど、全てはそれが前提で、やり遂げる方向に動くことが必須みたいになっていた。旅の計画で、しがらみのない自由な旅にしたい、と書いた。それにも拘わらず、自分でしがらみを作って束縛され、自由とはほど遠い思考をし、柔軟性に欠けている状態だった。年齢を重ねるにつれて、昔と比べれば柔軟になったし寛大になったような気がしていたが、全く至らないということに気付かされた。

ふとそのときに思う。「~しなければならない。」そんなことは世の中にほとんどないのではないか。自分が、人間同士が、社会が、しなければならないことを決めて、それを遵守しようとする。コミュニティを円滑にするためには勿論必要なことだけれども、囚われ過ぎても良くない。特に自分で自分に課した一種の思い込みは視野を狭くする。海外を旅していると、日本社会は「~しなければならない。~であるべきだ。」という概念が多く細かいように思う。そこから外れると世間から許容されず、生き辛さを感じたりするので自殺率が高いのかもしれない。

相変わらず上り坂が続く中、そんなことを考えていた。思考が氷のようにカチンコチンに固まってしまっていたので、一旦温めて溶かしてやり、水のように変幻自在な形にする必要があった。1全ては始まった、で書いたように、想いが積ったからこそ、逆に走らなければならないような心持ちになったのだろう。走らなければならない、から、楽しく走れるようなら走ろう、と枠を1つ外してみた。すると気持ちが嘘のようにすっきりとした。まだ予定の80kmには到底届いて行かなかったが、今日はもうここでテントを張ろうと優雅にキャンプ出来たのである。物事は自分の気持ち次第ということを痛切に感じた。

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チベットの道

[チベット]1.全ては始まった
[チベット]2.まさか再び会えるとは
[チベット]3.何が足りないのかが分かった
[チベット]4.そうは問屋が卸さない
[チベット]5.必要な時間
[チベット]6.チベットとはこんなところだよ
[チベット]7.風邪+高山病+峠+夢
[チベット]8.警察に連れて行かれた
[チベット]9.思い込み
[チベット]10.標高4000mにて絶景の道
[チベット]11.チベット人の家に泊めてもらう
[チベット]12.出発して5分後にチベット人の家に招かれる
[チベット]13.鳥葬を見て死を想う
[チベット]14.勇気ある撤退と旅のパートナー
[チベット]15.チベット人の結婚式に参加
[チベット]16.浴室に泊まる
[チベット]17.チベットの家づくりに参加
[チベット]18.チベットの学校潜入







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管理人のたかです。1984年4月20日生まれ。不動産会社での開発業、自転車世界一周、地域おこし協力隊を経て、愛知県新城市の古民家で宿泊事業をはじめました。SNSでフォローしていただくと最新記事を読むことができます。よろしくお願いします。