人生の連続性と目標設定:「今を楽しむこと」と「将来のための投資」のバランスについて、という記事を書いた。
それに対してツイッターで、欧亜見聞録 HARU (@Trip_haru)さんからコメントをもらった。
今を生きるって大切やと思う。未来があって当然とは思えないよ
そのときに感じたのは、HARUさんとは話が合うだろう、ということ。同時に感じたことは、未来があって当然だと考えて生きている人とは最終的に話が合わなくなる、ということ。
命に対する感覚はまさに人生観そのものなので、根本的な部分が違うと同じ話をしていてもずれていく。
命が有限だという当たり前の事実
人に等しく与えられているのは「死」である。生まれたときから死に向かって進んでいく。そして死はいつ訪れるか分からない。
死がいつ訪れるか分からない、というのがポイントで、これを意識しているかどうかはざっくりと三段階に分けられる。
1.死について考えていない人
2.死を頭では理解している人
3.死を頭で理解し、行動に影響が及んでいる人
僕は会社を辞めて自転車世界一周に出るくらいなので、3に該当する。そうすると1の人とは話が合わず、3の人とは話が合う。2の人はまちまち。
自分がどこにいるかによって、話の合う合わないがでてくる。
人生観と死に関する話題が出たので、最後に死生観を揺さぶられた話を。チベットで鳥に死体を食べさせる鳥葬を見たので、その記事を紹介して終わりにする。
コメントを残す