どーも。人生の本質に触れたい会代表の自然人タカ(@viatortaka)です。
いばや通信がやばい。
「いばや」は「やばい」を逆から読んだ言葉なのだからやばくて当然である。いばや通信の紹介をしただけでブログ記事の目的はすでに果たしているのだが、まだ上記リンクをクリックしていない人を対象に文章を書き連ねよう。
会いたい人に会いに行くとしたら
会いたい人に会いにいくかという話を、人脈について書いたときに触れた。
会いたい人になかなか会いにいかないのが僕なのだが、こんなことを書いた矢先に会いたい人は誰か?という問いと出会った。愛知県新城市をどうPRしていくかという中で、インフルエンサーと呼ばれる人に会いに行くという手段があると電通の方が言う。
そのときネット上で影響力を持つ人が参考として紹介された。ブロガー兼コメンテーターのはあちゅうさん、プロブロガーのイケダハヤトさん、ジャーナリストの津田大介さん、起業家であり政治家である家入一真さんなどが一例として挙がっていた。チャンスがあるなら会ってみたいと思っている方ばかり。
紹介されていない人の中で、自分が本当に会ってみたい人っは誰だろうと考えた。そして思い浮かんだのは坂爪圭吾さんだった。
坂爪圭吾さんは「いばや通信」を書いている方である。坂爪さんは家も持たない暮らしを2年続けながら、ブログを書き続けている。その内容は本質的で、ときに目から鱗が落ちるような喜びと、ときに自分が感じていたことが言葉になっている喜びと、ときに胸がアツくなる昂揚感と悲しみをもたらす。
詳しい内容はいばや通信を読んでもらうとして、坂爪さんのツイッターのつぶやきを紹介しよう。
どれだけ多くを持っていても、何かひとつでも失うことを恐れ、必死に溜め込もうとするひとは、要するに貧しいひとだと思う。潔く、清々しく生きるためには「ケチ臭い考え方」を捨てることだ。必死に溜め込もうとする根性は、多分、人間的な卑しさを生む。気前良く与えるひとが、豊かなのだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 12月 11
中途半端な未練を断ち切ること。自分を停滞させているのは、自分の甘えだと認識すること。潔く、清々しく生きるためには「被害者意識」を捨てること。自分のために生きることが、誰かの力になることを信じること。不安や恐怖や猜疑心を入り口に扉を開けるのではなく、勇気をもって開くこと。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 12月 8
東京に限った話ではないけれど「お互いに見栄の張り合いをしている」風に感じることが多い。自分が幸せになることよりも、周囲から幸せだと思われることに多くのエネルギーが割かれていて、結果的に酷く疲れている。自分の正当性を主張するような生き方は、多分、人間を恐ろしく磨耗させる。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 12月 7
自分を擦り減らすような相対的な比較や競争から距離を置くこと。絶対的な自分に集中すること。偶然を偶然と思わないこと。ふとした瞬間の閃きを大切に扱うこと。目の前にある日常的な自然の奥にある、見えない何かに届くまでしっかりと寄り添うこと。 pic.twitter.com/A7emE7wo3A
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 12月 4
「やりたいことをやる」「自分の好きな人と同じ時間を過ごす」「行きたい場所に行く」こと以上に、優先するべきことはあるだろうか。自分の理想は「今日も生きた」と思って毎日眠りにつくことであり、最後の瞬間に「俺は生きた」と思いながら、こどもが眠るように、人生に幕を降ろすことだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 12月 1
僕はいばや通信が好きだ。
人生は続く。
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