面白くない人間は、面白い人生を歩むしかないと気づいたあの日

面白い人間になりたかった。笑いを取って場を盛り上げる才を持つ人が羨ましかった。自分もそうなりたかった。

笑いと取れる人側に自分も行きたいというコンプレックス。それは小学校、中学校、高校、大学へと続いていく。

それに対して1つの解を見つけたのは大学時代のことだった。

面白い話は体験から生まれる

大学に入学してアウトドアサークルに入った。その同期にナカエという男がいた。

ナカエの周りには笑いが絶えず、僕も彼のセンスに惹かれた人間の1人だった。ナカエは同期に愛され、先輩にも愛され、後輩ができてからは後輩にも愛される存在。羨ましかった。

とはいえ嫉妬と羨望の渦に巻き込まれていたわけではない。刺激を受ける良き友だった。

ナカエを見て気付いたことは、笑いが数多くの面白い体験に支えられている事実。

もちろん同じ出来事をどのように切り取り、どのように話すか、といったセンスはあるのだけれど、ナカエは体験の絶対数が多かった。

面白い体験というのは話し方が多少へたくそでも面白い。ユーモアセンスがないのならば、面白い体験を積んでいけば良い。そうすれば面白い人間になれる。

面白い体験を積んでいくことは、面白い人生を歩むことに近い。平凡ではない経験値をため続けるのだ。

安易な方法は、人が選ばない道に進むこと。どちらの道に向かうか悩んだとき、一般的に選ばない方を選べば、それだけで経験に価値が生まれる。つまり、人生のレールを脱線するのだ。

大学に行って、就職して、結婚して、子供を授かって、ローンで家を買って、というよくある話の中よりも、大学を辞めて、桐たんす職人を目指して弟子入りして、世界にタンスを売ることになり、世界中を飛び回る人の方が面白い話ができそうでしょ。

何かを変えていく必要があると感じた。

レールから脱線した生き方を模索する

面白くない人間は、面白い人生を歩むしかないと気づいたあの日

20歳のとき自転車日本一周という人があまりやらないことをした。

21歳のとき本を出版して、起業しようとした。

・・・結局は就職して既定のレールに戻った。

25歳のとき会社を辞めて自転車世界一周に旅立った。

28歳で帰国してプータローになった。

29歳のときに新城市の地域おこし協力隊になって田舎暮らしを始めた。

30歳のときに狩猟免許を取った(今)

・・・ちょっとずつ人生が面白い方向に転がってきた感じである。面白い人間に近づいているはず!

結婚式の友人代表スピーチ

ナカエとは親友で、彼の結婚式にて友人代表スピーチを務めた。当エントリーの最後はそのときのスピーチで締めよう。

◆◆◆

ナカエ、○○○さん、ご結婚おめでとうございます。また、ご両家ならびにご親族の皆さまにも心よりお祝い申し上げます。

ただいまご紹介いただきました、新郎の大学時代からの友人の鈴木と申します。

「ナカエのいるところに笑いあり」とは私が作った言葉ですが、ユーモアのセンスが抜群のナカエの周りには笑いが絶えません。

フランスに旅立ったナカエから電話がかかってきたことがあります。

「やっちゃったよー!!」

その電話はフランスからではなく、日本からでした。つまり、飛行機に乗り遅れたということです。しかし、これには前日が会社の内定式だという事情がありました。内定式の後の飲み会にしっかりと参加した結果、飛行機に乗り遅れてしまったのです。

ナカエは物事の本質が分かっている人です。フランス旅行よりも、今後数十年働く会社の人たちとの付き合いを優先したのです。素晴らしい判断だと思います。ただ、その会社は2年後にリーマンショックの波に流されてしまいました。

ナカエがフランス行きの飛行機を乗り過ごした日、もう飲むしかないよね、ということで、昼から池袋で飲みました。途中からナカエのサッカー観戦仲間も加わり、みんなでナカエを慰めていました。

飲んでいる中で、「もうフランス行きはどうしようもないし、翌日のサッカー天皇杯を見に行こう!」というサッカー観戦仲間からの提案がありました。ノリのよいナカエが断るわけがありません。あみだくじでどの試合を観に行くか決めたナカエたちは、静岡へ向かいました。

翌日、ナカエから電話がかかってきました。

「やっちゃったよー!!」

なんと、試合がないというのです。どうやら日程を勘違いしたようです。再び、飲むしかないよね、ということで、東京に帰ってきたナカエと池袋で飲みました。

ナカエには失敗を笑いのネタに変える力があります。普通の人が凹んでしまって動けなくなってしまうときでも、それをパワーにできるのです。フランス行きがなくなった翌日に、急遽静岡に行くあたりで感じてもらえたと思いますが、ナカエには行動力もあります。

ナカエと僕が出会ったのは自然人倶楽部という大学のアウトドアサークルですが、ナカエはSOJという日本のスポーツ文化を変革するサークルにも入っていました。そこでは幹事長をつとめていました。

また、ナカエは社会科学部のゼミに所属しているにも関らず、スポーツ科学部のゼミにも所属していました。通常ではあり得ません。さらにすごいのは、そのゼミで副幹事長をつとめていたことで、それは前代未聞の事態です。

私はナカエの行動力に、いつも刺激を受けていました。ナカエに影響されて私も何かしたいと思い、大学在学中に自転車で日本一周をしました。そこから繋がって去年まで自転車で世界一周をしていました。今の私がいるのはナカエのおかげです。

○○○さんも、ナカエの行動力とユーモアに魅せられたのではないでしょうか。私はそんなナカエが素敵な家庭を築くことを確信しています。

おふたりの幸せが末長く続くことをお祈りし、お祝いの言葉とさせていただきます。本日はおめでとうございます。

◆◆◆

ナカエ、改めて結婚おめでとう。僕の今があるのはナカエのおかげだよ。

一度きりの人生、自分が主人公のストーリーの演じていたいよね。

面白きこともなき世を面白く 住みなすものは心なりけり。

関連リンク

生産性をプライベートに持ち込むのは愚行である







古民家宿泊はじめました!

古民家タカハウスで宿泊事業をはじめました。良かったら遊びに来てください。語りましょう。ボードゲームやりましょう!


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

管理人のたかです。1984年4月20日生まれ。不動産会社での開発業、自転車世界一周、地域おこし協力隊を経て、愛知県新城市の古民家で宿泊事業をはじめました。SNSでフォローしていただくと最新記事を読むことができます。よろしくお願いします。