インターネットは情報の雪崩である。ひとたびネットに繋がると情報がなだれ込んできて、埋もれる。もがいてももがいても出られない。電源を切れば出られるのに、それは容易ではない。
午前中はネットを使わないとかルールを決めたり、携帯を持たないとか物理的に制約しないと、情報の暴飲暴食は続く。
企業のCEOが9日間の完全なネット断ちをして得られたもの、という記事がある。僕は自転車で世界一周をしているとき、物理的に数日間の完全なネット断ちが行われることが何度もあった。パタゴニアの壮大な大地で、延々と続くサハラ砂漠で、ネットが毎日繋がるわけがなかったのだ。
・ある企業のCEOが「9日間の完全なネット断ち」で得られたもの
妻と私は、お気に入りのホテルに9日間の予約を入れました。けれど、オンライン生活と仕事に縛りつけられたままでは、いくらオフィスから離れても十分とは言えません。そこで、ノートPCとiPadと携帯電話は置いて行くことにし、留守中はメールをチェックしないことが自動返信で相手に伝わるようにしておきました。誘惑を最小限に抑える覚悟でした。過去の経験から、自分がどれだけ誘惑に弱いかわかっていたのです。
注意を払う対象が多すぎると、メンタルコントロールが弱ってきます。集中の妨げとなるデジタル情報に浸かって生活をしていると、ほぼ常に認知能力に過剰な負担がかかることになり、そのためにセルフコントロールが効かなくなります。
邪魔が入らなければどんな体験も、なんと豊かで満ち足りたものになるかを知りました。邪魔をしているのは、時として自分自身だったのですが。
9日間の休暇が終わる頃には、力がみなぎり、心が豊かになった感じがしました。脳が落ち着き、注意力を自分でコントロールできる状態に戻ったのです。その過程で、自分自身の奥底を再発見することもできました。留守中に何か緊急事態が起きたら連絡は取れるようにしておきましたが、幸か不幸か私の口出しが必要な事態など1回も起こりませんでした。たいていの事は待ってくれるものです。
今回の休暇で、デジタルライフを忘れて過ごす時間は、活力を取り戻すためにも仕事のためにも大切だという認識が深まりました。その思いから、私は今後2つの習慣を実行することにしました。
まず、1週間のうち2日は、一日の始まりの数時間を自宅で過ごし、メールもインターネットも見ないで、集中して注意を向けなくてはならないプロジェクトに取り組むこと(今日もそうしてから来ました)。もうひとつは、仕事を終えて寝る前に、最低でも30分は本を読む(そして十分に楽しむ)ことです。何かに完全に没頭するために大切なのは、定期的に完全なネット断ちをすることです。
僕も自分が誘惑に弱いことを知っている。メールをチェックする時間を決めたり、寝る前にはパソコンに向かうのをやめたりするのはルールで誘惑を回避するためだし、携帯を持たないのは外出中は物理的にネット断ちするためである。
・携帯電話を持たないという最先端のトレンドとその隠れたメリット
ネット断ちする時間を作るのはなぜか?このCEOは日々の活力を取り戻すため、という言葉を使っている。それもある。僕の場合は考える時間を作るという理由が大きい。
旅をしているときに気がついたのは、今まで考えることと情報収集をごっちゃにしていたこと。ネットで情報を得るというのは、考えているわけではなく情報収集なのだ。情報を収集したら自分の頭で整理して考えるようにしないと、人が考えたこと(情報)を自分が考えたことのように錯覚する。これを少しでも防ぐための時間を作っている。
インターネット検索をすれば誰かしらが考えたことを知ることができる。あるトピックについて複数の考察を読むと、自分なりに思うことが出てくる。それを複合して「自分の考えらしきもの」を作りだす。だがそれは決して自分で考え出したわけではない。
情報収集している時間の方が、それらを自分なりに解釈して複合させる時間(考えている時間)より長い。そもそも収集した情報は本当に正しいのか?、それ以外の考えはないのか?といったことを考える時間は短い。
旅の暇な時間では、自分が知っていることや疑問に対して、なぜ?という問いを重ねた。それこそが考えることだ。ネットや本を読んでいる時間とは情報収集なのである。情報は自分が考えるための材料のはずなのに、情報(他人が考えたこと)を、まさに自分が考え出したかのような気分になっていた。それに気付いた。
ネット中毒になっている人は、一度数日間のネット断ちをしてみるといいかもしれない。
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