全く、といって良いくらいに知らなかったキューバ。結局、社会主義という仕組みもよく分からなかった。
しかし、配給される食糧をもらうために並ぶ人々を見たり、その人達に配給カードを見せてもらったり、生きていく上での様々な制限があることを教えてもらった。実際のところキューバ人が現状をどう感じているのかは分からないが、それでも彼らの多くは笑顔であり陽気であった。配給制や福祉関係のセーフティネットは充実しているらしく、最悪生きていける仕組みが整えられていることは一因なのだろう。
経済力がある程度向上した国が次に目指す姿は、将来の不安が少ない社会だと僕は思う。それがどういう形かは分からないが、「なんとなく」の不安が常に付きまとっている人々は幸せを感じにくいのではないか。
例えば、職を失う、病気になる、といったコントロールしにくい問題から、子供を産み育てる、といった選択できる問題も含めて、何に幾ら費用がかかるか分からない中、皆なんとなく不安を抱えて生きている。不確定要素は生きる上で確実にあるもので、それとはうまく付き合っていく必要がある。
将来のため、何か問題が起こったときのため、といった漠然とした不安は、お金を貯めても消えることはない。「なんとかなるさ」と思わせる社会構造が日本の次のステージだと考えていた中で、キューバを旅したことで得るものがあった。
始めに思った社会主義とはなんぞや、という疑問は明確には解決しなかったけれど、勉強して、また訪れたいと思った。そんな糸口を作った旅だった。
配給を受け取るために並ぶ人々。
日本人と幸福
帰国後に追記
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