外国人による日本語弁論大会で受賞した”山崎ランサムどりあさん”の講演を聞いて、次の世代に繋ぐことを想う

どーも。ときどき講演を頼まれる会代表の無名人タカ(@viatortaka)です。

新城市鳳来支部寺院総代会総会・・・漢語のように見える名称の総会にて、2015年に講演をさせてもらった。

“自転車世界一周して気付いた世界の動きと新城市の可能性”を講演してきた!

2016年に講演できるいい人はいないか?と聞かれたので、山崎ランサムどりあさんを紹介した。以前にローカルテレビ局ティーズの収録で出会い、新城在住のアメリカ人である彼女の話を僕が聞いてみたいと思っていた。そのきっかけとなったのはどりあさんのとあるブログ記事である。

新城市「昭和街」の夢:プレゼンテーションの原稿

私も、外国人として新城市を20年以上見ています。初めて旧道の商店街の町並みを見た時、心が打たれました。なんとステキな町並みだろう!昔の日本がそのまま残っている!

私が思うには、橋向の交差点から平井の交差点までの商店街を「昭和街」として保存すべきだと思います。私がお話をする間、商店街の写真を見てください。この写真は朝方撮ったので、シャッターが全部下りていますが、これらの建物が今どんな状態なのか、きれいなのかではなく、潜んでいる可能性を見て欲しいと思います。これらが「昭和」を思い起こす建物であるかどうか、考えていただきたいと思います。

多くの人は、「戦前の昭和じゃないと保存するに値しない。道が舗装されていなかったり、長屋でなかったりと昭和っぽくない!」と思うかもしれません。けれども、昭和は60年以上続きました。様々な昭和があります。戦前、戦後、経済成長期、バブル最盛期――これらが全て昭和です。昭和の全体を残すことにこそ意味があります。1970年代、80年代のものも残す必要があります。

現代の私たちにとっては、ただ「古くてダサい」、「早く取り壊してしまいたい」としか思えませんが、20年、30年先のことを考えてみてください――この時の人たちは、今のものが残っていたらとても懐かしくてとてもステキに思うと思います。

平成に入ってからの建物は四角くてデザイン性にかける、外壁がパネリングのものばかりです。商店街がすべてそのようになってしまったら本当にもったいないと思います。

特に、新城の商店街はアーケードではないからこそ威圧感のない、開けていて、歩いていて気持ちがいい商店街です。しかも、戦争の時に空襲を受けていないから、戦前のものも残っていて、そしてアクセスがいい――この商店街を保存することができれば、将来の新城市にとって大きな財産になります。

「生きた博物館」、昭和の生活をそのまま体験できる、大人気の観光スポットになって、修学旅行の目的地の一つにもなるような魅力があるほどの町並みです。そして70年代、80年代の話を描く映画のロケ地としてもモッテコイです。

みなさんは新城の中心街の町並みをどのような目で見ていますか。今残っているものを取り壊すのをやめて、修繕して、改装して、耐震化しておくことをおすすめします。

簡単でもない、すぐに終わることでもない、もしかしたら10年、20年かかるかもしません。けれども、あきらめないで少しずつ進めていけば必ず実を結びます。

「お金がないから」というかもしれませんが、歴史研究の団体や企業のサポートや、クラウドファンディングなど、クリエイティブに考えれば、お金を集めることができることを信じます。

やるなら今が時です。まだ間に合います。

但し、言うまでもなく、このためには持ち主と住民の協力と理解が不可欠です。

このように新城の中心街を「生きた博物館」にしたら、どんなことができるのか、想像してみてください。どんなお店があって、どんな仕事を生み出すでしょう。LPやレコードプレーヤーを売っているお店、アンティーク屋さん、昔の映画やアイドルのグッズのお店があったりしてもいいです。ハンズオンの博物館で床に置くタイプのラジオ、一眼レフ、ネガや暗室、リモコンのないテレビ、そして2層式の洗濯機があるといいかもしれません。昔ながらの食堂、パン屋さんや駄菓子屋さん、そしてポケットパークで観光案内の若者が子どもたちと一緒に輪回しや竹馬や缶下駄で遊んだり、お年寄りのガイドが町の案内をしています。週末だけでも歩行者天国にしたりするといいかもしれません。

数えきれないぐらいの魅力に満ち溢れた「新城の昭和街」の夢が思い浮かんできます。

このアイデアは正に「Back to the Future」――過去に戻り、過去を取り戻すことによって、新城市の未来が見いだせるのではないでしょうか?

そこには、元気になった町に住んでいる人、働き甲斐のある仕事を見つけた人、そして夢を持っている人の姿があります。

みなさんは将来の新城市に対して、どのようなビジョンを持っていますか。新城市はこの20年間で大きく変わりました。次の10年、20年、さらにいい風に変わっていくことに期待します。

みなさん一人ひとりの願い、意見、経験、そしてリソースを活かして、より良い新城市を共に造って行こうでありませんか。

面白い視点だと感じた。外国人として新城市を20年以上見ているどりあさんの話を聞いてみたいと思っていた。

そんな矢先に講演する人の紹介を頼まれたので、どりあさんを紹介する運びになったのだ。当然、僕も聞きに行った。

外国人による日本語弁論大会で受賞した山崎ランサムどりあさんの講演を聞いて、次の世代に繋ぐことを想う

概要がどりあさんのブログにまとめられているので紹介したい。次の世代へ、がテーマであった。

お願いです。次の世代へ!

子どもたちが自然に対する感覚を失っているかということを話し、ぜひ、この感覚を次の世代、お孫さんたちに伝わるようにしてくださいと、お話しました。元の原稿ですと、この話はさらっと終わるはずだったのですが、目の前の人たちの大多数が60代、70代の男性ばかりでしたので、この人たちにこそ伝えないといけないことがあるんだ!と思って、自分たちが持っている自然や農業についての知識を、お孫さんたちに伝えるようにと、自然と話が私の中から湧き上がってくるのを感じました。

1950年、60年ぐらいまでは、ほとんどすべての子どもたちが畑や田んぼのお手伝いをさせられていました。やらざるを得なかったので、この世代はある程度のことが身に付いています。けれども、その後の高度経済成長期の日本で育った子どもたちは、「あなたの仕事は勉強して、いい大学、いい会社に入ることなんだ」と、言われ続けてきて、畑や田んぼにまつわることにまったく関わっていません。何も知らないでいます。私はこの世代をLost Generation、失われた世代と呼んでいます。おじいちゃん、おばあちゃんたちは今となってヤバイことをしてしまったと、わかるようになりました。そして、自分の子どもたちに伝えられなかったこと、身に付けさせてあげられなかった感覚を、少なくとも孫たちに伝えようとしている人が少なくないです。

そして特に、輸入ばかりに頼っているこの国は、いつかそんなに遠くない将来に世界情勢が変わって、平和じゃなくなってくる可能性もあると思います。電気やガソリンが好きに使えない時代にでも食べ物を手に入れる知識はありますか。この能力をも、次の世代に伝えることが非常に大事だと思います。

お話ししながら自分でも楽しくて、あっという間に1時間が終わりました。終わってからお食事にも呼ばれて、その時に聞きに来てくださっていた鈴木さんと担当の僧侶の方とゆっくりお話をすることができて、とてもよかったです。鈴木さんは今年、不耕起栽培で家庭菜園をがんばろうとしていますので、話が弾みました。

鳳来地区の皆様!次の世代へ、日本の将来のために、田んぼのこと、畑のことを教えてください!よろしくお願い致します!!

僕が新城市に移住してから感じていることの1つに、住んでいる方の生きる力がある、ということ。米や野菜を育てるといったことから、大木の伐採、小屋を自作といった都会に住んでいる人の多くはできないであろうことができる。

さらには家を作ってしまった人とか、トロッコを作れる人やら、もはや何でもできるのではないかと思わせてくれる技術と知恵を持つ。僕はそういったものを身に付けたいという欲求があり、だからこそ周りの方々のすごさに圧倒される。

特に災害時や、どりあさんが書いているように平和ではなくなったとき発揮できそうな能力で、それは使わずに住むならそれに越したことはないのだけれど、次の世代に繋いでいく必要のあるもの。少なくとも自分自身は引き継ぎ手になれたら良いと考えている。

今回の講演の聴衆から見ると僕は次の世代に属する。どりあさんは前に世代の方々に、それらを伝えなければならないと言った。それも間違いなく大切なことなのだと思う。

また別の視点のメッセージであり、非常に面白い講演だった。

どりあさんは2012年に開催された第52回”外国人による日本語弁論大会”で外務大臣賞を受賞されている。日本の田舎に学んだものをテーマにしているその映像を最後に紹介して終わりにしよう。

どりあさん、快く引き受けていただきありがとうございました。

ちゃお!

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