企画を立てるのが好きだ。
2014年10月に廃校で脱出ゲームを企画した。50名ほどの方が参加者には笑顔が溢れていた。「クオリティ高い!」という褒め言葉を受け、5ヵ月の準備期間に思いを馳せた。
・廃校でリアル脱出ゲームを企画したよい!ストーリーは学校の七不思議
今回は一緒に企画を練って練って練りまくったのは5名の仲間と僕。大人の運動会の打ち上げ時に、廃校で脱出ゲームがやりたいよね!と盛り上がったメンバーである。ほぼ全員と初対面だった。
学校をみんなで視察してわくわくし、実現したいことを語り合った。6人もいれば考え方は異なる。時には喧々諤々とやり取りをしながら、1つ1つ決めていった。
それぞれの考えがところどころ違っていても、最高の企画を提供して、最高の時間を共有したいという想いは同じ。ゴールに向けて各々が自分にやれることを見つけて準備していた。
高校の文化祭でのクラス演劇を思い出す
みんなで1つのものを作り出す喜びを久しぶりに感じていた。思い出したのは高校の文化祭。クラスで演劇をやったときのあの一体感を忘れることはない。
イベント企画は形に残るものではなく、一過性のもの。今回のイベントで言えば、5ヵ月準備をしてきたけれど、終わってしまえばそれまで。そこに割いた膨大な時間、参加者との間に当日生まれた一体感。それらは儚く消える。
物としては何も残らない。だけどそれがいいのかもしれない。
形として残らないからこその強烈な思い出。参加者の謎解きをする前のわくわくしている顔、用意した演出に驚く様子、謎に詰まって頭をフル回転させている姿、謎が解けた喜びを分かち合う空気。瞼を閉じればそれらが目の前に浮かんでくる。
みんなで1つのものを作り出すというのは、それぞれの力を足し算するのではなく、掛け算することである。今回の6人の企画者はタイプが違った。強みも、弱みも、違った。それが故に衝突もあったが、お互いの弱みをフォローし、強みを発揮したからこそ、素晴らしい企画となった。
自分1人では到底作り上げられないものだったと自負する。誘いの声をかけたけれど残念ながら来れなかった人は人生を損しているレベルだった(はず)。少なくともこんな企画があったら僕は参加したいと思う。
最後の簡単な匿名のアンケートを取った。「企画はどうでしたか?」という質問に「大満足」「満足」「やや不満」「不満」の4つの回答を用意した。アンケートに記入してくれた43名中36名が大満足、7名が満足という結果に加え、嬉しいコメントがたくさんあった。
家でアンケートを見ながら、幸せな気持ちで日本酒を味わった。
人が繋がる喜び
参加者の笑顔を見ることは企画者の喜びである。そして自分の友人同士、参加者同士が繋がっていくのを見るのも喜びである。そこに企画を立てた価値が存在している。
自分が参加者と繋がるのも喜びである。主催者は参加者に顔を覚えてもらいやすく、話しかけてもらいやすいというメリットがある。企画を進行させるのに時間を割くため、関わる時間が少ないというデメリットもあるけど。
では企画者の真のメリットとは何なのか?
それは企画者同士の繋がりにある。今回はほぼ初対面同士のメンバーが集まって企画した。それはリスクを内在していた。企画を最後までやり切ったからこそ、彼らへの信頼は厚いし頼れることを知っている。
友人なんだけれど、仲間なんだよね。一緒に何かを仕掛けられるメンバーというのは貴重な存在。そのような繋がりは企画に参加するだけでは見分けづらい。財産といって差し支えないと思う。
そんなことを考えながら酩酊するのである。
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