チベットの鳥葬の記事に対する日本人の感想

フェイスブックを見ていたら、旅の最中にチリで出会ったミチさんが僕のブログの記事を取り上げてくれていた。中国の理塘に行ったときに書いた「[チベット]13.鳥葬を見て死を想う」という記事。そこにコメントが幾つかついており、死についての話が出ていた。こういうのってすごく嬉しい。

フェイスブックのコメント

ミチさん

鳥葬って知ってる。これは旅に出て初めて知ったこと。いつか見てみたいし、死について考えることは生きる上でとても素晴らしいこと。死生観のない人の人生なんて、なんとも味気ないものなんじゃないかな。とタカ君のブログを読んで改めて思った次第。

Aさん

読み応えがあるブログ。仕事柄人の死と関わってきたけど、日本人は死の話題を避けたがるからギリギリになってバタバタする家族をよく見た。逆に自分の事を最後まで責任持って旅立っった人は最期の時まで幸せそうだった。死の瞬間で人の人生が見えるんですよね。

Bさん

小さい頃から人の「死」について、口にすることをタブーとされている中で育ってきたけど、特に身内の葬儀に幾度となく参列、また最期を看取ることができた中で自分なりに考えてきました。最近、子供と生や死について話します。タブーにしてしまってはいけないと思って。人生をおくる上で死生観について考えるのは大切ですね。うまく言えませんが、こちらのブログを読んでガツンと感じたことがありました。

ミチさん > Aさん

興味深い話。 たまに旅人同士で話したりするけど、生死に近い仕事をしてた人は、しっかりとした死生観もってて、勉強になる。死は必ず誰にも起こることだから、もっと普段から話していけたらいいよね!

ミチさん > Bさん

子供と話すってほんといいことだと思う。誰もが死ぬということは、何かやるときの勇気にもなりえるよね。自分もまだまだだから言葉にするのがうまくいかないけど、こうゆう話題を話せる友達がいるのは、本当に嬉しいこと。

Cさん

鳥葬こんな変わった方法あるんだって、昔思ったことがあります。

Dさん

高校生の頃まで実家の村では土葬で、たまに、その穴掘りを手伝わされた。掘った夜は亡くなった人を夢で見たりして、(不思議と皆楽しそうだった)人生に終わりが有ることを感じられずにいられなかった。そんな時、祖父が持ってた秘境チベットという本で鳥葬を知った時、鳥によって天国に召されるという解説にとても感動をした記憶が有ります。

ミチさん > Cさん

おっ、知ってたんだ!まだ他にも知らない弔い方があるのかもね。

ミチさん > Dさん

昔は土葬だったんですよね。自分らのころはもう火葬だったので、すごい興味深いです。今度Dさんと再会したおりにはこんな話しもじっくり伺ってみたいです。

まとめ

上記はコメント欄の一部を抜粋したもので、こんな感じでやりとりが続いていた。自分が経験したことを書き、それが少しでも誰かのインスピレーションになったんだと感じると、モチベーションがあがる。ミチさんありがとうございます。







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管理人のたかです。1984年4月20日生まれ。不動産会社での開発業、自転車世界一周、地域おこし協力隊を経て、愛知県新城市の古民家で宿泊事業をはじめました。SNSでフォローしていただくと最新記事を読むことができます。よろしくお願いします。