小説「プラハの春」を読んでチェコ旅行とその写真

プラハの春」を読んでからプラハに行くことが楽しみで仕方がなかった。1968年のチェコスロバキアを舞台にしたこの小説は当時の日本大使館に勤める外交官によって描かれたラブロマンス。事件の背景がしっかり書き込まれているので、読み応えはばっちりである。1968年のチェコについての記述だけれど参考になったので引用させてもらう。

・何よりも音楽と文学の国であり、芸術の国だった。繊細で優美なカットグラスは世界一だ。また重・精密機械工業も盛んだった。高性能小型航空機や「シュコダ」という小型乗用自動車を独自に生産していることはあまり知られていない。そしてピルゼンビールに代表される醸造技術はヨーロッパ屈指であり、白ワインも良質だった。(p31)

→ちなみにチェコ語を話す友人によると、シュコダを作ったのはシュコダさん。日本語で残念という意味らしい。残念さんが生産している自動車は今もヨーロッパで多く見かける。それにしても名前の意味が残念って斬新。シュコダさんは自分の名前に誇りを持っているようです。

・いや、プラハ市内中心部のほとんどが石畳で、レンガほどの大きさの石がモザイクのように敷き詰めてあった。あらゆる種類の車が走り、市街電車まで通る石畳の道は傷みやすい。しかも冬の雪や凍結のため、でこぼこになってしまうのだ。この傷んだ石畳の道路は、丹念に手作業で修復しなければならなかった。春先、その修復工事が始まっていた。プラハの街に対する市民の愛着は、並大抵のものではなかった。

プラハは第二次世界大戦の戦災をほとんど受けなかった街である。ドイツ占領下にありながら戦場にならなかったのは奇跡であった。ドイツの降伏直前、市民が蜂起し小規模の戦闘があった程度で、損害はほとんどなかった。十二世紀頃の石造りの建物が、中世そのままに残り、十四世紀には神聖ローマ帝国の首都として、「すべての都の母」といわれた往時の風格がしのばれた。(P60)

→現在でも石畳で埋め尽くされている。ブダペストは大好きだが、それとは異なる美しい中世のヨーロッパを思わせる街並み。

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石畳に対する愛を感じた。自転車道の幅は最低限。

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酔っ払いのチェコ人にからまれた。

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以下はオーケストラに行ったときのもの。

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階段が席だということに驚いた。

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次はもっと大人数のものを聞いてみたい。

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カレル橋にて。出発の日は雨だった。5泊したプラハとお別れ。

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