タンザニアで見る日本の中古車と検査費用
タンザニアは日本車だらけである。しょっちゅう見かける日本の中古車。バスやトラックなどは日本語表記がそのまま残っているので面白い。この傾向はケニア・ウガンダと続くが、タンザニアで日本語表記の車両を見ることが一番多い。 日本…
タンザニアは日本車だらけである。しょっちゅう見かける日本の中古車。バスやトラックなどは日本語表記がそのまま残っているので面白い。この傾向はケニア・ウガンダと続くが、タンザニアで日本語表記の車両を見ることが一番多い。 日本…
キリマンジャロを登頂し、サファリを満喫した。遊びに来てくれたタケとリリーとミッちゃんが日本に帰り、アルーシャに取り残された僕。彼らとの合流に合わせて動いていただけに、その後のことまで手が回っていなかった。北へ行くか南へ行…
モロッコにいるとき、自転車サハラ砂漠縦断に向けて日光を遮断するものが必要だった。帽子でも良かったのだが、現地の人が頭にくるくる巻いているターバンを見るにつれて、砂漠と言えばターバンだろう、と。サハラ砂漠の入り口の街グエル…
サファリ3日目の予定はレイクマニャーラ→キリマンジャロ空港。朝早くに出発し、日の出を見てからレイクマニャーラへ向かった。んで国立公園内に入って5分くらい車を走らせると、、、 木が倒れていて進めない!! 昨日の雨風によって…
キリマンジャロ登山を終えた日が2012年2月23日。タケとリリーとミッちゃんの帰国便が26日の夕方のため、残された2泊3日の時間でサファリに行くことに。タンザニアのサファリと言えばセレンゲッティ国立公園が最も動物が多いと…
2012年2月23日。キリマンジャロ登山6日目の朝。 山頂から下りてきた後は完全にへたばっていたのに、朝の目覚めは素晴らしく良かった。標高4600mに身体は順応したようだ。トイレに行きたくなり、意を決してもぞもぞとテント…
僕は晴れ男である。旅のここぞという場面ではいつも晴れてきた。以前に国内を旅していたときは勿論、今回の旅でもそうだ。南極はほとんど晴れていたし、パタゴニアでの氷河、フィッツロイ、九寨溝、エベレストベースキャンプ、アンナプル…
昨日の夜に寝袋へ潜ったときは、幼少期の遠足の前日のようなわくわく感につつまれていた。そう、本日はいよいよアフリカ大陸最高峰の頂を目指す日。目覚めた瞬間から身体の隅々まで神経が通っていることを感じる。頭痛はなく、むしろ頭の…
旅を続けて768日目。 ウガンダのジンジャからビクトリア湖を半時計周りに走り、ブコバでムワンザ行きのフェリーを捕まえた。前回1ヵ月以上滞在したタンザニアを自転車でがっつり走る気はなく、ムワンザからバスでモロゴロに。13時…
2012年2月20日。キリマンジャロ登山マチャメルート3日目の夜。 夕食後のこと。提案があるんだが、、、とガイドのジェームズが切り出した。それは今後のスケジュールの話。 ○当初のスケジュール 3日目 バランコキャンプ(3…
マチャメルートの3日目のコースは、標高約3700mのシラーケーブから一旦4500mまで登り、3900mのバランコキャンプを目指すもの。日中に標高を上げて宿泊地の標高を下げるというのは高所順応に良いので、高山病対策の日と言…
キリマンジャロ登山2日目。テント内は快適で、良い目覚めだった。テントの外の冷気の中に身を置き、内に残ったけだるさを吹き飛ばす。頂き付近の雪がかかっているところを眺めながら軽く柔軟体操をした。今日は、富士山よりちょい低い約…
タンザニアとケニアの国境がどうなっているかご存知だろうか? 直線がキリマンジャロ山のところで歪んでいる。この歪みは、1885年のベルリン会議でアフリカが分割され、イギリス領ケニアとドイツ領タンザニアの国境線が決められたと…
モシの宿のベッドの上で仰向けになって寝ころんでいた。キリマンジャロを登る同志をツイッターで募ってからの日々が頭をよぎる。モロッコ、サハラ砂漠、セネガル、ザンジバル島、、、断片的な映像が消えては浮かんでいく。やがてそれらが…
2011年8月15日にオランダのアムステルダムで自転車を盗まれたとき、これで旅を終えようかと考えた。大切な鉄の彼女がいなくなった意味が、なにかしらあると感じたのだ。結局、ここで走るのをやめることは出来ないと新たに自転車を…
旅を続けて757日目。 ケニアからウガンダにやってきた。最大の目的はラフティング。世界最長のナイル川はビクトリア湖から流れ出しており、そこでのラフティングを楽しみにしていた。晴れた日に下りたい!という一心で、雨季の訪れの…