栗城史多さんの「一歩を越える勇気」をケニアからおすすめ!!
旅を始めてから731日目。この旅の日数は一時帰国の日々を抜いて計算している。2009年11月から始めた旅が日数ベースでちょうど2年。旅も終盤へ突入である。 キリマンジャロ登山とサファリへは日本から遊びに来てくれた友人らと…
旅を始めてから731日目。この旅の日数は一時帰国の日々を抜いて計算している。2009年11月から始めた旅が日数ベースでちょうど2年。旅も終盤へ突入である。 キリマンジャロ登山とサファリへは日本から遊びに来てくれた友人らと…
セネガルとの国境の街ロッソに到着したころには日が落ち始めていた。雑踏する街で宿を探している内に日は暮れて薄暗くなった。国境の街というのはどこも嫌な感じがするものだが、ロッソも御多聞に洩れずかなり嫌な感じ。さっさと宿に入り…
モーリタニアの首都ヌアクショットからの道のりは、長かった砂漠生活の終わりを予感させた。目に見えて緑が増えてゆき背の高い木々が姿を現す。道沿いに家を構える人々は僕を見るや声をかけてくれたり手を振ってくれる。この受け入れられ…
「アフリカよりあなたに葉書が届きます」という企画を西サハラにいるときに発表した。世界一周ブログランキングで1位となったら参加者にアフリカから葉書を送るというもの。当時で10番台前半だった順位はキリマンジャロから下山してき…
旅を始めてから721日目。 キリマンジャロに登頂しました!!!! その道は容易ではなかった。山頂付近で高山病に悩まされ、気力を振り縛って頂上へ向かう。アフリカ最高峰ウフルピークの標高は5895m。最後の100mが特に苛酷…
モーリタニアの首都ヌアクショットにて思う。この国のことを全然知らない。 考えてみると、旅が3年目に突入して始めて当初の予定に入っていなかった国に来た。言いかえれば、始めに予定していたルートから大きな変更はなく2年が経過し…
「フランス人が2人殺されたぞ!」 ヌアティブでお世話になろうとしていたフランス人のベノトのアパートの前で聞いた衝撃の一言。ヌアティブはモロッコ(西サハラ)とモーリタニアの国境から40km程離れた街で、国境からそこまでは彼…
モロッコ(西サハラ)とモーリタニアの国境へやって来た。朝9時に開くゲートの前には50台を超える車両が列をなしている。自転車の僕は歩行者と同様に扱われたために、車両の最後尾に並ぶ必要はなかった。だが手続きが進むスピードは異…
サハラ砂漠を自転車で縦断するときは南下することをおすすめする。というのはハルマッタンと呼ばれる風が基本的に北から南に吹いているからだ。強力な追い風の中を気持ち良く進める。1日100kmを超えるパースで走ることが出来たのは…
西サハラの中間地点の街ダクラ(Dahkla)はサハラ砂漠縦断の真ん中あたりとなる。今回のサハラ砂漠縦断チャリの2200kmを青森から鹿児島に例えたならば、愛知らへん。僕の実家が愛知ということにもかこつけて、ちょいと一息入…
本格的な自転車によるサハラ砂漠縦断が始まった。100km毎に街があった今までとは違い、キャンプを余儀なくされる区間。西サハラの最大都市ラーユーンから中間地点のダクラまでの500km強を走り抜ける。情報収集したところ、ラー…
アフリカ北西部、モロッコの南側に西サハラという地域がある。そこは「サハラ・アラブ民主共和国」が独立を宣言しており、多くの国が承認している。しかし欧米や日本などの先進諸国はモロッコとの関係上のために承認しておらず、サハラ・…
サハラに死す―上温湯隆の一生 (講談社文庫) posted with ヨメレバ 長尾 三郎 講談社 1987-07 Amazon 楽天ブックス この本無くして僕がサハラ砂漠を自転車で縦断しようと思うことはなかった。22歳…
まずは写真を見て欲しい。 2人でターバンを探していた。1枚の布を買って半分にした方が安くない?ってことで1枚の大きい布を買って切ったわけ。うきうきして早速付けてみたのね。んで写真を撮りました。 気持ち悪いよね。うん、キモ…
何度も書いてきたことだけど、僕は自転車で旅をすることに対する拘りはない。公共交通機関を使っても構わないし、旅の移動手段は自転車でなくてもいい。自転車で旅をすることがわくわくするから今も続けているだけだ。最も走りたかったヨ…
マラケシュをタロウと共に出発した。目指す先はメディナ(旧市街)が世界遺産に認定されている港町エッサウィラ。世界遺産と言われても、今までの4つの世界遺産メディナでお腹だったいっぱいなので殊更見に行きたいわけでもなかった。そ…