保手濱彰人氏(以下ほってぃさん)が「武器としての漫画思考」という本を出版した。
その本が届いたのでパラパラ見ながら、ほってぃさんと一緒に本を書いたり、ガイアの夜明けを含む数多くのテレビ番組に出たり、会社を作ったことを思い返した。
懐かしくなったので、僕にとってあのトクベツな一年を振り返ってみる。
ホリエモン逮捕前の日本が起業に沸いたあの頃
ホリエモンこと堀江貴文さんが逮捕される前、彼はまさに時代の寵児だった。
彼がやることなすことがメディアに取り上げられ、若者たちは起業に夢を見た。何がやりたいかは分からないけど、起業してみたい!起業に興味がある!、という大学生は東京に山のようにいた。
かくいう僕もその1人だった。
ちょっと自分の話をする。中学高校のときは数学と物理が得意のゴリゴリの理系脳だった。何もしていなければ理系の学部に進学したのだろうけれど、高校2年生のときにオーストラリア留学を一年間して、考えが変わった。
オーストラリアの高校でビジネスという授業を選択し、その授業がすこぶる面白かったため、進学先を経済や経営に変更したのだ。理系から文系に転向し、数学受験ができる大学を探した。
オーストラリアの高校のビジネス授業では、駅の近くの商店と駅から離れた商店のどちらが儲かっているかという仮説を立て、店の前で客の数や客層を見るといったフィールドワークをし、最終的にそれぞれの商店に儲かっている額を聞くという内容を学んだ。
きっと大学の経済経営学部ではきっとそういう授業をやるに違いない、もっとやりたいぞ~!という気持ちで受験に臨んだ。無事大学に受かったら、ビジネスを学んで起業するんだという気持ちもあった。
無事に希望通りの学部に入学していざ経済の授業を受けてみると、思い描いていた授業とは違い、座学の連続だった。正直、ぜんぜんおもしろくなかった。
こんなことが学びたかったわけじゃないっっ!!!!!
と大学に行く日はみるみる減っていき、アルバイトをして酒を飲み、旅やアウトドアに明け暮れた。
大学2年の終わりを迎えようという時期になり、3年生は就職活動だなぁと先輩を見て気づく。あれ?大学入学して、ビジネスを学び、起業するんじゃなかったっけ?
改めて自分の気持ちを確認したタイミングは、まさに世間が起業ブームに沸いているときだった。
保手濱彰人氏と出会う
起業したいけど、何をやりたいかも、何をしていいのかも分からない。そんな若者入りした僕は、どうしようか悩んだ。
そして行き付いたのは、そういう人はどうしているのか?ってことだった。
大学生と言えばサークル。検索エンジンに「サークル 起業」と打ち込んでみた。そこで出てきたのが東大起業サークルTNKだった。
東大起業サークルTNKに連絡を取ってみて出会ったのが、ほってぃさんだった。彼も起業を考えていた。とはいえ起業のネタもなく、まずはサークルを作ろうとしているところだった。
熱量が、ちょうど良かった。
本気で起業を考えている人は、すてに起業している。起業をしたいけどよくわからない、なんかしたいといういわゆる意識高い系の大学生が集まった笑
サークル立ち上げ当初メンバーは6人くらいだったと思う。僕以外はみんな東大生だった。
起業サークル立ち上げ当初の動き
はじめはビジネスや会社のことをそれぞれが調べてきて発表する勉強会をした。定期的に開催し、メンバーはだんだんと増えていく。
そんな中で東大の五月祭でカクテルバーを出店して20万円以上売り上げるといった、おままごとのようなビジネス体験もした。
自分たちで勉強会をやっていても一生起業できなさそう、ということで、5月中頃にはそれぞれがツテをたどって社会人の先輩らを呼んでの勉強会へと形を変えた。
すると6月に本を出版しないか?という話をもらう。
それは「東大生が書いた算数の教科書」という東大ブランドを使った本だった。
実は僕も著者の1人。参加した1人が書けなかったため最後に助っ人として執筆することになった。2万部くらい売れて、韓国語にも翻訳された。(印税でペルーとブラジルに行った)
7月頃に、学生の30秒プレゼン大会でほってぃさんが優勝し、堀江貴文さんのカバン持ちをする学生に選ばれた。それがガイアの夜明けで放送される予定だったため、このころからテレビカメラが入るようになる。
武器としての漫画思考の著者紹介に書いてあることを引用すると
〈著者について〉
保手濱彰人(ほてはま・あきひと)
1984年生まれ。教科書・参考書をほぼ読まず、漫画を読むだけで東京大学理科一類に現役合格。在学中に経済産業省後援のビジネスコンテストで優勝し、起業(東大中退)。「ガイアの夜明け」で1時間特集され、一躍有名となるも、30歳を目前に組織崩壊、社員が全員辞職し借金3億円を抱える。
ガイアの夜明けの他にもさまざまなテレビ局が撮影に来ており、僕らの活動はしょっちゅう撮影され、たまにテレビに出ていた。(テレビ局ってこんなに撮影するのに、使うのは本当の本当に一部なんだと知った。)
10月(だったかな?)のガイアの夜明けの放送に合わせて起業することにし、会社は教育系のことをやっていくこととなった。それは「東大生が書いた算数の教科書」という本の出版ともシナジーがあるし、東大ブランドが活かせるから、というのもあった。逆に言えばそんな程度の理由だった。
言葉で書くと何も考えていないバカみたいだが、スピード感があった。とにかく前進している感じが楽しかった。
こんな経緯でほってぃさんと一緒に起業することになったのである。
ガイアの夜明け放送後
ガイアの夜明けはすごい反響だった。
教育系のサムシングで会社作ります、と締めくくられた番組構成だったのにも関わらず、出資したいという連絡が山のように来た。
まだ何をするかも本人たちも分かっていないのに、出資の話のオンパレード。
情報を整理し、出資したいという方々と会い、あの人はあーだこーだと話す時間が最高に面白かったのを覚えている。みんなが人のどんなところを見ているかを共有する時間は学びでしかない。
そんな日々を過ごしつつ、会社の事業計画を作っていった。
最終的には塾をやることになり、コンセプトや場所の選定などをしたことを覚えている。
そうして11月12月1月2月と時間が過ぎていくのだが、僕としてはどうにも起業メンバーとの熱量が合わないと感じていた。
僕は人生をかけたチャレンジがしたかったが、他のメンバーはそんな感じでもなく、ゆるいように見えた。
会社を作ると決まるまではめちゃくちゃわくわくしていたけれど、作ったあとに段々と本当にこれでいいのかな?という気持ちが強くなっていく。結局3月に抜けさせて欲しいと伝え、就職活動をすることにしたのだった。
人生の中で異色の1年
そのあと僕の起業志向はなくなり、就職した会社を25歳のときに辞めて自転車世界一周に出た。そのあとに狩猟がしたくて田舎暮らしをはじめ、今は古民家を宿にして営業している。
自分の人生の中で出会った人の毛色がまったく違う1年だった。起業サークルを検索してから1年の間に、本を書き、テレビにたくさん出て、会社を作って、抜けた。
その1年で出会った中に「与沢翼」や「はあちゅう」といった有名になった人もいる。(翼とはスノボに一緒に行ったりした。ミス東大のゆりちゃんもいる。)
ほってぃさんは在学中に起業して今でも会社経営しているし、高橋飛翔も在学中に起業し、1ヵ月程前の2023年11月16日にIPOがニュースリリースされた。
他の仲間もマッキンゼーやアクセンチュアといったコンサル会社、三井物産や三菱商事といった商社など、いわゆる当時のトップ企業に就職していった人も多い。
起業してみたいナァ、というそこらへんによくいる学生にとってはなかなか得がたい経験をすることになったのだった。
最後にもう一度ほってぃさんが書いた本の紹介をする。おもしろそうなので是非読んでみて!(届いたばかりなのでまだ読んでいない)
おしまい。
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