どーも。生きることについて研究する会代表の自然人タカ(@viatortaka)です。
ウルグアイの元大統領であるムヒカ氏が来日した。彼のスピーチは前にブログに載せたことがある。2012年6月20日~22日にリオデジャネイロにて行われた「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」のもの。衝撃だった。
会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。
しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?
質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。
現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。
ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。
石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の賢明な方々、エピクロス、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています
「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。
根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。
私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。
幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。
ありがとうございました。
2016年4月7日に東京外国語大学で講演
ムヒカ氏が初来日した。そして東京外語大学で講演したときに撮られたであろう池上彰さんとの対談がテレビで放送されていた。
それはそれで良かったのだが、東京外語大学での講演も気になったので書き起こしを探した。やはり書き起こしてくれている方がいる。ほんとありがたい。
消えてしまう可能性があるのでコピペしておく。
動画と合わせて紹介するが、書き起こしはかなりはしょられているので、時間があるなら動画を見た方がよく分かる。
ドン・キホーテが言っていました。「君が行った場所で見たことを、そこにいる人たちと同じようなことをすべきだ」と。これは何を意味するのでしょうか?
これが意味することは、例えば、ここは今日本ですけれども、日本人には独自の文化があります。そして、その考え方、性格があります。日本人としてのあり方があります。また、特性というものを持っています。そういった特性に触れて、私は非常に強い感銘を受けました。
ある意味で私は、私自身に言っていることです。私の友人にも言っていることですけれども、日本人はまるで東洋のドイツ人だと思いました。非常に秩序立てて物事を判断する、という印象を持ちました。これは非常に驚くべき文化だと思います。
今回、私は非常に感謝しております。人生に感謝にしております。現在80歳になってから、日本に来るチャンスが得られたことを感謝しております。本当に感謝しています。この私の訪日を実現してくださったこと。そして、私が私の人生の後半に至って、この重要な、日本という国を知り得たことに感謝したいと思います。
日本は私の国(ウルグアイ)とは本当に対局にある、反対側にある国であります。しかしながら、私は今回いろんなかたちで謎解きをしてみたいと思います。いろんなかたちで思考を巡らせてみたいと思います。とくに、若者の人たちというのはこれからの世界を担っていく方々です。そして、これから重要な時期を迎える方々であります。
◆「生きる」とは、奇跡であり、死に向かって歩むことでもある◆
今、いろんな価値観がありますけれども、もっとも重要な価値観は「生きている」ということ。なぜなら、生きていること自体が奇跡だからです。
なぜ奇跡なのか? 無限の奇跡とも言えると思いますけれども、なぜならば、今これから生まれるであろうチャンスがいっぱいあるからです。そしてまた、宇宙全体を考えたときに、いろんなかたちでのチャンスがあるからです。そういうチャンスを与えられてること自体が奇跡だと私は思うのです。
もし人生が本当に一番大切なものだとしたら、私たちのまわりにある価値観というのは、人間を生物として、ある意味では考えなければいけない点もあります。すべての種と同じように、私たちは“種”として生きなければいけない。
さまざまな人間は意識があります。記憶も人間にはあります。情動も感情もあります。思考もあります。文化を創り上げることもできます。文明を創ることもできます。そして、理性的に考えることもできます。抽象的に考えることもできます。そして、それでも、私たちは文明の一部にすぎないのです。
自然は、私たちに対して特権を与えてくれました。おそらく「私たち自身のことを考えろ」という意味で、私たちにこういった特権を与えてくれたのだと思います。
しかし、それぞれの生活というものを考えた場合にはどうでしょうか? おそらく、私たちが簡単に忘れてしまうものがあります。あるいは、忘れてしまっているように思えるものがあります。なぜならば、実際に生きるということ、それは基本的には死に向かって歩むことだからです。
◆人間は自分自身の人生の道を築くことができる◆
人間の人生は他の生き物の一生とは違うものがあります。というのは、ある程度まで、私たちは何かを創ることができる。すなわち、自分自身の人生の道を築くことができるからであります。なぜなら、私たちには意識があるからであります。
そのほかの動物はどうでしょうか? このような可能性をほかの動物は持っていません。私が考えるには、それは絶対的なものではありません。また、それはおそらく部分的なものかもしれません。しかし、いずれにしても、私たちは存在の方向性というものを作ることができるのです。
若いみなさま方、2つの選択肢があるのです。1つは、「生まれたから生きる」ということです。いずれのほかの生き物すべてと同じように、であります。また、もう1つの選択肢というのは「そこから出発して、私たち自身の人生というものを方向づける」。
そしてまた、それを自分自身で操縦していくということであります。すなわち、この奇跡のような生をうけたということの大義のために生きるのであります。
しかし、そのことは私たち自身の意思にかかっていることなのです。私たちがいかにコミットするかということに関わっているのです。すなわち、内部でどのような決断をするかということであります。
例えば、人生というものを気が向くままに生きるとすれば、例えば、私たちの歴史の中における市場、私たちはこの市場の中に生きています。しかし、その中で、あなたは自分自身の人生というものを動かすことができるのです。
どうしてこのようなことを私は言ったのでしょうか? なぜならば、人生についてコミットするということ。それは、私たちが多くの恩恵をうけているということを理解しているということであります。
文明という非常に素晴らしいもの。それからまた、世代に渡ってのものを受け継いでいく。そして、それによって可能になっていることが多くあります。今日(こんにち)、生活を異様にしているさまざまなものがあるのです。
しかしまた、非常に重要なことがあります。例えば、30年、40年、あるいはそれ以上の人生というものがある場合。またもう1つ、私たちが相続している、受け継いでいるものがあります。それは世界がこれからどうなっていくか、今後の世界というものに関係しています。
私たちはこれだけ多くのものを受け取ったのです。それであれば、私たちは、何かを今後の世代の人たちに残すことができるよう、貢献することができるのではないでしょうか?
私たちの、そのかたちでの可能性がある、“種”としてのもの。それから人生に対してのもの。そういうものがあるわけです。だからこそ、私たちは「これからやってくる世界が、私たちが今生きている世界よりもよりよいものにしよう」という意思を持とうではありませんか。
ここで1つ疑問があります。これが質問です。生まれたから生きる。あるいは生まれたことを理解して、私たちの存在自体に方向性をつける。そしてまた、種としてのよりよいものに対して戦っていく、哲学、政治、倫理などがあります。そして、これらは同じ塊の中のものとしてあります。
現在、多くの市場をもとにしたさまざまな文明が発達していきています。文明は一方では非常に素晴らしいものを築き上げてきました。
例えば、さまざまな素晴らしい技術を開発しました。非常に素晴らしい力です。そしてまた、非常に素晴らしいモノを得るということもできます。その力で歴史を推進してきた点があります。
しかしながら、永遠というものはないのです。
そういった進歩の反面で、負担も多く遭遇しました。例えば、市場で非常に負担な面ももちろんありますが、すべて悪いわけではありません。すべて否定しているわけではありません。先ほどのギリシャの哲学に戻りますけれども、過度がいけない、行き過ぎはいけないということです。
私たちの人生のすべてを市場にまかせてはいけません。私たちの人生、そして人生の冒険のすべてを市場の手に委ねてはいけません。
私たちは文明を築き上げました。そして、文明の発展の速度が、創造の速度がどんどん加速度的に早くなっています。そして、本来ならば、その速度にリミット、制限をつけなければいけないけれども、現在はそれを統治する術もなく、その市場の力が、まるで自立的な生き物のように、まるで動物のように1人で加速度的に進んでいます。
ある物語で、地球をひっくり返す魔術の棒を見つけた。でも、ひっくり返したはいいけれども、ひっくり返したあとにそれをもとに戻す術を知らなかったという話がありました。今、そのような状況が起こっています。◆私たちは環境破壊を止める術を知らない◆
私たちがこれから先、何が起こるのかわからない、という状況もあります。私たちは自分たちの人生を統治できるように、支配できるようにしなければいけないはずですけれども。でも、私たちは市場の力を現在統治できないくらいになっています。
なぜこういう話をするか? 例えば、以前、京都議定書が結ばれました。その合意に基いて、環境破壊に何らかの制限を加えようとしました。それでも環境破壊を止めることは実現できませんでした。
私たちは、海の汚染がだいぶ前から始まっているということを知っています。知りながら、私たちは何もなす術を持ちませんでした。私たちはそういうリソース、手段を持っていないのでしょうか? なんて恥ずべきことでしょう。今までこれほど、人類でこれほどのリソース、そしてこれほどの能力を持ったことはありません。
世界中で1分間に200万ドルが軍事予算に使われています。しかし、これが最悪なのではありません。最悪なのは、こういった方向性を止めることができないことです。これはすべて何を意味してるんでしょうか? こういった例を数限りなくあげることができます。
でも、すべてに関して私たちはブレーキをかけられない。その結果、世界中の85人から100人のお金持ちが、300人の人の富と同じくらいの富を占めるようになってしまった。
これはどんな意味があるのでしょうか? 例えば、いっぱいお金を持っている人、あるいは富裕者から、何か学ぶことができるのでしょうか?
◆消費で残るのはモノの蓄積にすぎない◆
私が言いたいのは、文明のなかで多くのモノを浪費しすぎたということです。つまらないことに浪費しながら、一番重要なことには目を向けてこなかった。一番大切なことは幸せになることです。
でも、今までこれほど生産性が高まったことはないのに、分配の仕方が悪いために、今の私たち人類はそういった生産性の恩恵にあずかっていません。わずかな人が恩恵にあずかり、ほとんどの人がフラストレーションを抱えています。これは何を意味するのでしょうか?
非常に美しい大義というのがあります。この大義というのは、人生に美しい意味を与えること。そして、人生の存在に意味を与えること。そして、種全体がよくなること。これが大切な大義であるはずです。
もちろん、いろんなかたちで屈服したままで負けて生きることもできます。そして、単なる守りに入ることもできます。そして、多国籍企業のためだけに一生を捧げるという人生もあるでしょう。
でも、私のようにリウマチ持ちの老人になったときに何が残るでしょうか? あなたは、ローンの支払いを一生続けるために生きてきた、というふうになるでしょう。
2年ごとに新車を買いたかった。家が小さいから、さらに大きい家が欲しくなった。それでいろいろ負債を積み重ねて、いろんなことをして負債に追われる。自分でさまざまなモノを買うこと自体を楽しみにして、自分の人生の時間を浪費してしまうわけです。そういうかたちで残るのはモノの蓄積にすぎません。でも、それは私たち頭の中で考えなければいけません。考える術はこの頭の中にあります。ですから、この頭を使えば、あなたは自分の人生を誘導する、導いていくことができるはずです。
◆私は貧しいわけではなく、質素が好きなだけ◆
みんな、私のことを貧しいと言いますが、私は貧しいわけではありません。私は質素なだけです。以前は「慎ましい」(austerity)と言ってましたけれども、それはもう好きではありません。
「austerity」はヨーロッパの緊縮政策と結び付けられるので、今は好きではありません。私は単に質素が好きなだけです。私にとって重要なモノさえあれば、十分なのです。
質素であるほうが、私が本当にしたいことができる時間があるからです。私にとって大切なのは、例えば社会運動もそうですけど、ほかの人にとっては絵を描くことが大切かもしれません。
魚釣りをすること、遊ぶこと、あるいは、毛糸を編むことが大切な人もいるでしょう。あるいは友人と遊ぶことが好きという人がいるでしょう。そういう時間を過ごすことが自由であるということです。
ですから、いろんな大げさな言い方、フランスのいろんな言葉で飾るような人たちがいますけれども。でも、本来の自由というのは、自分がしたいことをできるというのが自由です。
ほかの人に強制することなく、ほかの人の考え方を阻害することなく、それぞれの人の考えを尊重したなかで、自分がやりたいようにできること、ほかの人がやりたいようにできること。それが自由です。
そのために必ずしもモノが必要なわけではありません。ですから、本当に本当に必要なモノがあれば十分なわけです。
ただ、どんどん必要にさせられていく。市場に操られてどんどん必要なモノが増えてしまうと、それは決してあなたは自由ではなくなります。なぜならば、あなたの大切な時間が、その市場によって失われてしまうからです。そして、あなたが欲しいモノを買うためにあなたの自由な時間が失われてしまうのです。
もちろん私がこうやって話したからといって、若者のみなさんに同感してほしいと思っているわけではありません。決して、みんなに同感してほしいと思っているわけではありません。みなさま方自身が自分にとって何が一番大切なのか、何が一番いいのかを考えてほしいのです。
誰でも抱える矛盾をいかに抑えていくか私たちは2つの矛盾する力によって作られています。すべての生命は誰でもエゴイズムを持っています。
例えば、自分を守るため、あるいは自分が大切に思う人を守るために、エゴイズムというものがあります。エゴイズムというのは、自然が私たちに与えてくれた、ある意味では自然のものでもあります。
ただ、また同時に、もっと違った素晴らしい遺産を持っています。それは文明であったり、文化であったり、知識であったり。それは前の世代が築き上げたものであります。前の世代が築き上げた文明です。そして、世代間の団結、あるいは連帯です。
だからこそ私たちは、そういった大切な感情を中に秘めています。そういった感情を教育によってさらに精度を高めることができます。そして、正しく生きることによって、そういった感情を高めることができます。
それを高めることによって、自分で自分のエゴにブレーキをかけることができるわけです。そして、重要な教訓を学ぶこともできるのです。
一番大切なのは、ともに助け合うこと。そして連帯、協力です。それは男性、女性含めてすべての人間の協力であって。それが創造力になり、モノを創る力になります。
そして、チームワークで働くからこそ、私たちの人生をよりいいものにすることができるのです。そういった意味で他者の存在というのは非常に大切です。こういった、私たちが誰でも抱える矛盾をいかに抑えていくか、支配していくか。
ただ、人間は神ではありませんし、絶対、神にもなりませんし、パーフェクトな存在には決してなれません。こういった社会というのは今も問題を抱えていますし、将来も問題を抱えるでしょう。それは人間が神ではないからです。
私たちは情熱を持っています。エゴイズムを持っています。そして、利害も持っています。そして、間違いも犯します。正しいときもありますけれども、試行錯誤もします。そして、集団で生きなければいけません。でも、矛盾を抱えています。ですからこそ、政治が必要なのです。
完璧な社会がありえないからこそ政治が必要アリストテレスが言ったように、人間は政治的な生き物である。なぜならば、人間は矛盾を抱えるからです。なぜならば、完璧な社会などありえないからです。そうであるからこそ、政治というのはさまざまな試みをして、そういった差が共存できるように運営しようとするのです。
紛争というのは必ずあります。社会的な生活のなかには必ず紛争がありますけれども、それをいかに共存可能なものにしていくか、というのが政治です。もし私たちが神であるならば、政治はいらないでしょう。もし完璧であるならば、政治はいらないでしょう。
ですから、政治というのは、何らかの組織の中で座っているということを意味するのではありません。そうではなくて、そのほかの社会全体のことについて、心を砕くということなのです。なぜならば「政治は重要じゃない、関心がない」ということを言うときにも、1つの政治的な立場というものを持っているわけです。
なぜならば、他者のものによって自分の靴を買う。あるいは他のモノを消費するわけです。例えば、どういうような家に住むでしょうか。あるいはウエディングドレスを買うかもしれません。すべて、最終的にはこの政治のあり方、社会の行く末にかかっているのです。
例えば、政治というものを放棄するということ、これは少数の者がそれを制御するということを意味します。
私たちは多くを生きてきました。文明というのものは多くのモノを残してくれました。例えば、共和国。もちろん、多くの過ちも一緒に。
◆誰もがほかの誰よりも上ということはない◆
誰もがほかの誰よりも上ということはなく、基本的に男も女も、少なくとも理論的に同じ権利を持っています。青い血はない。例えば、公爵、伯爵というものもない。
そのためにどれだけの犠牲が必要だったでしょうか。どれだけの犠牲があったでしょうか。このような基本というものを固定するためにどれだけの犠牲が払われたでしょうか。もちろんすべての人にとって、その出発点というものは違います。なぜならば、民主主義というものは完全ではないからです。人間の誤りというもの、それからまた限界というものもたくさんあります。
しかし、それは無限の戦いなのです。つねに改善するために、つねによくして、変革していくためのものです。それぞれの心の中で、よりよくするために、そのためにも、私たちは私たちの社会をよくするために戦わなければなりません。それこそが人生の、生の大義なのです。
そして、それこそが私たちの存在に意義というものを与えるものでしょう。そして、それは大きな責任です。とくに、このような素晴らしい大学で勉学する者、そういうような素晴らしいチャンスを得たものにとってはそうです。
そのようなチャンスがあるのであれば、よりその責務というものも大きくなるでしょう。社会に手を差し伸べ、そのようなチャンスを得ることができなかった人のために役立つという大きな責務です。
もちろん、ここで考えなければなりません。子供たち、それから老人たちというような、脆弱な人々がたくさんいます。しかし、そのなかで考えなければなりません。
私は非常に批判的である、ということは言えるかもしれませんけれども、悲観主義ではありません。反対です。私は人生を愛しています。そしてまた、青少年を愛しています。ですから、ここで申し上げたいことがあります。◆人生でもっとも重要なことは「歩き続けること」◆
もっとも重要なことは勝利することではありません。人生でもっとも重要なことは「歩く」ということです。歩き続けることです。
これは何を意味するか? すなわち転ぶたびに起き上がる。それから、また新たに何かを始める勇気を持つ。何かに打ち負かされたときに、また立ち上がる、ということです。
すべての分野で重要なことは愛です。愛というものを私たちは生きるべきです。例えば、仕事があります。そしてまた何かが起こって、そしたまた、例えば収監される。そしてまた、牢獄に入れられる。
しかしながら、またそこから開放される。そしてまた、生き始める。そして、息をすることができる。いずれにしても、あなたの体が動くうちは、毎朝体が動く、そして生きているという、この奇跡というものを歌い上げるわけです。
人間より強い動物というのはいません。非常に素晴らしいものです。しかしながら、それで自分自身を満足してはいけません。学ばなければなりません。そして、つねに心を持って行動しなければなりません。
すると、大きな教訓を得ることができます。完全に勝利を収めることは絶対にありえないのです。つねに何か欠けているものが出るでしょう。しかしながら、絶対に完全に敗北するということはありません。
実際にどういうことで勝利を得ることができるのかといえば、それは、意思を持って生きるということです。それは例えば、この人生の最終地点に、何らかのゴールとしてのアーチがあって、そこに到達するということではありません。
そうではなくて、自分自身が意思を持って生きるということです。そしてまた、生きる力によって立ち上がるのです。
政治的な立場、モラル的な立場があります。政治的な立場は、必ずしもなんらかの政党に属するということではないのです。どこにあるとしても、そういうような立場を考えることができます。
すなわち、私は「人生」という党に属しています。残念ながら私はまだ神というものを信じるに至っておりません。もし信じることができるのであれば、人生の最後のときにおそらく神様に「もう一度生きさせてください」と頼むかもしれません。
しかし、私たちはこの「生きる」という奇跡を得ています。みなさん、どうぞよく生きてください。そしてまた、毎晩あなたのベッドに入ったときに、例えば5分間使って、その日1日のことについて考えてください。
なぜならば、それぞれ自分自身の中に、それを評価する、審判する者がいるからです。ですから、自分自身に聞いてください。良かったのか、悪かったのか。そしてまた、それをもとに、より良い明日を築くようにしてください。
それから、ぜひ家族を持ってください。家族というものは、単純に血のつながった家族ということではありません。そうではなくて「考え方の家族」という意味です。同じように考える人です。人生を1人で歩まないでください。
ですから、なんらかの情愛、それを1つも持たないと、1人で歩かなければならないことになるでしょう、非常に重い孤独の中で。
しかし、もちろん私たちは神ではありません。私たちは人間です。もしほかの人に対して非常に大きな要求をするとなればどうなるのか。人間というのは完璧なものではないので、友人を得ることができなくなるでしょう。そして、1人で歩かなければならなくなるでしょう。
ですから、例えば社会というものを得る場合には、寛容性が必要であるとも言えます。なぜなら、人間というのは完璧ではないからです。だから、寛容性が必要なのです。
◆金融が肥大化しても生産は大きくならない◆
現状、私たちの身の上にはさまざまな問題があります。非常にグローバル化した世界に私たちは生きています。私にとっては、2つの基本的な問題が感じられます。
まず1つは、金融資本が爆発的に大きくなっているということです。それが「通貨をもとにした生活」を大きく変えているのです。
これはまさに、お金が重要になっている。そして、お金を得るために、人生のなかで大忙しで、あっちに行ったり、こっちに行ったりとしているわけです。
この金融の資金が非常に多くある場合、しかしながらそれは、例えば生産を大きくするものではない、ということもあるわけです。経済はこの金融を中心に成り立っている。それによって公共をなくし、みんなが忙しく動き回るようになった。
そして現在、非常に大きな困難が世間の中にあります。非常に莫大な量のお金があります。これはさまざまなかたちで、投機的に使われています。大量のお金です。すなわち、それらは単純に生産に向かっているわけではありません。
またもう1つ、ほかにも深刻な、重大な問題があります。私たちの文明のガバナビリティー(統率力)というものがない、ということです。
なぜならば、それは非常に大きなものになっているからであります。そして、この文明というものが、非常に大きく変わってきているからです。例えば、大量のナイロンが太平洋の中に浮遊していたりするわけです。
◆世界ができることは、数限りなくある◆
じゃあ、どうやってこれを解決することができるのでしょうか? 「人間は気候を変えることができない」誰が言ったでしょうか。例えば、アフリカ大陸の国々があります。技術的に可能なことがあります。
これは例えば、蒸気の鍋を使うことができます。それから、水蒸気の量があります。そして、それによって砂漠の問題を対処できるでしょう。
そういったことが、すべて可能です。塩水で農業を営むこともできます。塩水で生きられる種も多くいます。97の化学記号というのは、すべて海水から発見されています。世界ができることは、本当に数限りなくあります。
でも、そういった大切な決断をする人が誰もいません。誰もそのために必要な課税をすることができません。30年前からトービン税という話が出てきますけれども、トービン税というのは資本取引に対してわずかの税をかける、そしてそれによって投機を抑えようという税金ですが、それもまだ実現していません。
なぜかというと、金融資本のほうが生産資本よりも重要な地位を占めているからです。私の小さな国でもお金持ちがいます。最後の1ペソまでインフラに投資しているお金持ちもいます。
でも、別のぜんぜん投資しない金融資本を、例えば今、パナマでもパナマ文書というのが問題になっていますけども、自分の資本を増やすためにだけ、いろんなタックスヘイブンを使ったりしてお金を動かしている人もいます。こういう状況があるんです。
ですから、みなさんのような若者は、こういった状況に対して戦わなければいけません。こういった非常にバカげたこと、悲惨なことを止めるために何かしなければいけません。
これは誰も問題を解決できないという問題ではありません。人間がまとまれば、組織すれば、戦うことができるのです。まさにそうすることこそが、人類の連帯、団結という意味だと思います。
◆10年の投獄について「非常につらい時期だった」◆
最後になりますけれども、私は若いときに多くの本を読みました。そのあと、世界を変えたいと思いましたけども、変えることはできませんでした。それで10年ぐらい刑務所に入れられました。非常につらい時期でありました。
でも、それほどすごく厳しい時期を過ごさなかったら、今学んだようなことは学ぶことができなかったと思っています。ほかの人と同じように、踏みつけられたり、ゴミのように扱われたこともありました。
例えば、軍事独裁であるとか、その圧政もありましたし、私の同志たちと一緒に収監されたこともありましたけれども、最終的に大統領になることができました。でもそれ以上に、「もっといっぱい、いろんなことを実現したいな」と夢見たこともありました。いっぱい途中で挫折して、実現しなかった夢もありました。
じゃあ、何が残ったのか? 私はほかの人がその道を続けられるように、その道を耕してきたと思います。なぜならば、闘争は永遠に続くからです。私はほかの人たちを知ることができました。
以前、私が収監されて、若くして「世界を変えよう」と思って辛い時期を過ごしたときには、孤独を慰めるために、私自身に多くを語りかけました。
ひょっとしたら全部には到達できないかもしれないですけれど、10ぐらいには到達できるかもしれません。つねに自分が切り開こうとした道を、自分が掲げた旗を引き継ごうとする人は必ずいるはずです。
◆人生を信じられるように何かをしてください◆
日本ではなかなか希望を持てない、というふうに聞いています。前に聞きましたけれども、若者の30パーセントぐらいしか投票に行かない、と聞きました。
……信じてないんですね。でも、もし信じられないんだったら、信じられるように何かをしてください。人生を信じられるようにしてください。
何か悪いことがあって、それを変えたいと思うこと、不満を持つことはいいことです。単に何もしないで不平ばっかりを言っているのでは、まったく変わりません。一緒に同じ気持ちを持つ人と、まとまって一緒に何かをしなければいけないと思います。
それがあなたの人生に、あなたの存在に意味を与えることだと思います。そうじゃなければ、あなたの失望が勝利してしまうでしょう。生きるためには希望が必要です。もし希望のない人生になってしまうとしたら、どうでしょうか?
今までずっと講演を聞いてくれた若者のみなさん、本当にありがとうございました。もちろん別に同感してほしいとか、そういう思いで話したわけではありませんけども、寝るときに私が言ったことを、ぜひ考えてみてください。
(会場拍手)◆ムヒカ氏が日本の首相だったら何をするか◆
司会 今日はとくに、若いみなさんに向けて、限りある一度きりの有限な人生、その命と時間をどう使うんだという問いかけを、たくさん投げかけられていました。ここから質疑応答を行いたいと思います。
お時間のあるかぎり、たくさんの質問をお受けしたいと思います。ムヒカ前大統領に質問のある方は、ぜひ挙手をなさってください。そして、ご起立されたまま、お顔が見えるようにご質問をしてくださると、うれしいなと思います。
それでは、ご質問のある方。では、一番に手が挙がりました、こちらのスーツで来ていらっしゃる方にお願いいたします。
質問者1 (スペイン語で)非常にすばらしいスピーチをいただきまして、どうもありがとうございました。今回、講演を聞けて、非常にうれしく思っております。ちょっと質問があります。まず最初に、もし日本の首相であったら、あなたは何をするでしょう? 日本の今の社会を良くするために、何をしますか?
私たち若者は、現在の日本社会、あるいは世界の現状を変えるために、何が私たちはできるでしょうか? なぜならば、ほとんどの日本人は仕事が人生であるかのように、あるいはお金を稼ぐことが人生であるかのように、時間を過ごしています。
でも、日本人は恋人、友人、そして家族といるために、本当は時間が必要です。でも、いっぱい問題があります。例えば、日本の企業はそれを許しません。また、日本人の性格も問題です。
例えば、もしほかの人が働いていたら、日本人は「私もほかの人のように働かなければならない」と思います。ですから、今、私が質問したことに対するお答えを、ムヒカさんから聞きたいと思っています。
まず最初に、日本の首相だったら何をしますか? 日本の社会を良くするために。これが最初の質問です。
何かの魔法が変えてくれるなんて思わないでくださいホセ・ムヒカ氏(以下、ムヒカ) 私が話したなかに、いろんなヒントがあると思います。大きな社会は、集団としての大きなツールを作らなければいけません。
例えば、今の現状に不満を抱いているのであれば、同じような考え方を持っている人、感じ方をしている人となんらかのかたちで組織を作ります。そのなかで力が生まれます。そのなかで、社会に対して啓蒙することもできると思います。それをしなければ、社会そのものは変わりません。
ちょっと考えてみてください。何年も前のことですけれど、以前、労働者は15時間も16時間も、18時間も働いていました。もうこれは100年ぐらい前のことですけれど。それで、ちょっと頭のいかれた人たちが闘争を始めました。
労働者は8時間働いて、寝る時間が8時間必要だと。そして、それ以外の時間も8時間必要だと。そういうふうに決めて、労働者は活動しました。その労働闘争をした人の多くは亡くなってしまいました。
その闘争から50年たった今、その権利を知らない人はいないでしょう。その人たちがいたことは、みんな知っているでしょう。その権利のために戦いました。そして、その闘争によって、ほかの人々の意識を開拓していったわけです。
私の国の場合は、過去100年間の間、主な労働者は牧畜産業の労働者でしたが、そういった法律はありません。8時間労働という法律が順守されていませんでした。なぜならば、働き方が違っていたからです。
今は、その8時間労働が順守されています。ですから、例えばそれは農村の場合であっても、そういった法律を順守することはできるわけです。ですから、この文明が続けば、労働時間が5時間、6時間ということになるでしょう。
例えば、ロボットがどんどん入ってくれば、そういった労働時間に対する闘争が始まるでしょう。ですから、いろんな状況があっても、同じような考え方の人と一緒に集まってがんばってください。
何かの魔法が変えてくれるなんて思わないでください。町の人と一緒に協力し合うことによって、望みがかなうのです。それが一番大切なことだと思います。そうでなければ、ボーリング場や喫茶店での雑談で終わってしまいます。そして社会は今のまま変わらないでしょう。
質問者1 ありがとうございました。
◆貧乏とは、多くのものを必要とすること◆
ムヒカ 2番目の質問で、若者が何をすべきか。市場にあなた方の人生を奪われてはいけません。消費主義に支配されてはいけません。
言うのは簡単です。でも、クモの巣に捕まってしまったようなもので、いつもいつも「あれを買え」「これを買え」と責め立てられています。本当に必要不可欠なものだけ買えるようになれば、必要な時間はできるでしょう。
質問者1 じゃあ、私にとって本当に必要なものだけを、これからは買うようにします。
ムヒカ この定義を覚えておいてください。セネカ(注:古代ローマの政治家、哲学者、詩人)です。セネカの言ったことです。「多くのものを必要とする者が貧しいのだ。なぜならば、その限界を知らないから」とセネカは言いました。
質問者1 親切なお答え、ありがとうございました!
(会場拍手)司会 ありがとうございました。大変流ちょうなスペイン語でご質問いただきましたけれども、もちろん日本語でもけっこうでございますので、あと2人ほど、ご質問を受けられるかなと思います。
◆あなたと同じ考えの人と一緒になってください◆
司会 それでは、挙がりました、後段のスーツを着ていらっしゃる女性の方にマイクをお願いいたします。
質問者2 (スペイン語で)すばらしいスピーチをいただきまして、どうもありがとうございました。私の質問をさせていただきます。世界各国に出ようという関心を持っている学生は、たくさんいます。
その場合、この学生時代をどのように過ごせば良いでしょうか? より良い世界を作るために何を勉強すべきでしょうか? こういう質問なんですけども、お答えいただけますでしょうか?
ムヒカ おそらく答えは似たものになるかもしれません。個人的な個々の答えを知りたいのであれば、それはあなた自身から出てくるでしょう。それをあなた自身が獲得することができるでしょう。
勉強をして、どこかで仕事をして、というようなかたちで。そして年齢を重ねていくでしょう。そしてまた、子供を持って、人生を継続していくでしょう。そしてまた、すばらしい人間になる。これは1つの可能性ではあります。
また、別の場合はあなたと同じような考えの人と一緒になってください。闘争するためのなんらかの手段を作ってください。それは、例えば社会的な組織であるとか、名前はなにかわかりませんけれども、同じ志を持つものと一緒にやってください。
おそらく若い人たちは非常に大きな重い何かを持っているでしょう。同じ思いを持っている人は、たくさんいるでしょう。なぜなら、私たち人間は風に吹かれる木の葉のように、非常に弱いものなのです。
しかし、それが一緒になればより強くなって、多くのことを表明することができるようになるでしょう。ですから、他者の強さが必要なのです。それぞれの大義は、我々の寿命が長かろうと、集団的なかたちで行わなければなりません。
そしてそれを継続していかなければなりません。私たちの人生が終わったときに、また次の人が同じようなことをして腕を上げてくれるでしょう。なぜなら私たちは、同じ人間という同じ“種”のなかにいます。同じ船のなかに乗っているのです。
この種というものは、私たちに多くのものをくれました。だからこそ、私たちは種に対しても貢献する必要があります。どうぞ恐れないでください。あなたの心のなかを、覗いてみてください。おそらく、原始の強い女性の心があるはずです。
質問者2 ありがとうございました。
(会場拍手)◆あなた自身を幸せにするものを探してください◆
司会 ありがとうございました。それでは、ほかにご質問がある方、いらっしゃいますか? それでは手が挙がりました、一番端の男性の方にお願いいたします。
質問者3 (スペイン語で)非常に素晴らしいスピーチをありがとうございました。私の質問は次のとおりです。あなたのお考えでは、本当に全世界が幸せになるのは可能だと思いますか?
なぜ私がこの質問をするかというと、私の考えでは、それはとても難しい、ほぼ不可能のように思えるんですね。全員が本当の幸福を感じることができる社会、世界になるのは難しいように思えるんですが、ご意見いかがでしょうか?
ムヒカ たしかに私たちは神ではありません。でも、それぞれが自分の考え方に基づいた生き方をする。そうすればあなたは幸せになるし、あなたと一緒に生きる人も幸せになるでしょう。
私は最後の審判は信じていません。でも人生の何らかの時点で、おそらく我々はある鏡の前に立ち止まる時が来るでしょう。そして、私は私たち自身に言います。「私たちは自分たちの人生を生きてきた」。
どこかで私たちは自分の人生の総括をすることになると思います。たとえば「何かをやろうとしたけど失敗してしまった」「何度も失敗したけれど、やろうとした」「100やりたかったけれども、5ができた。もちろん完璧ではなかったけれど、有益な人生だった」。
別の場合には、「私は私の人生のなかで何もしなかった」「単純に私は浪費をした、消費をした」「誰に対しても手を差しのべることはなかった」「ほかの人のことなんて、一度も心配したことはなかった」「決して、誰かのために時間を費やすことはなかった」。
自分自身を鏡で見るとき、そこに映るものは自分のエゴイズムにすぎないのです。そのときにあなたは自分自身に対して失望するでしょう。
単純に世界を変えるため、勝つために戦うのではないのです。そうではなくて、自分自身の心のなかにあるもののために考えるのです。戦うのです。私たちは感じることができます。
生まれたから生きる。それは馬かもしれないし、犬かもしれないし、そういうものと同じものになってしまいます。あるいは自動的な機械のように生きるのと同じことかもしれません。
でも、私たちには頭があります。心があるのです。ある程度までではありますけれども、私たちは自分自身の人生を方向づけることを自分ですることができるのです。
もし音楽が好きならば、そこに自由を探してください。もし私のように絵が好きなのであれば、そこに自由を見出してください。私のように農業が好きな場合には、農業を営むことができるでしょう。それは単純にお金を稼ぐためだけではありません。
ですから、何かあなた自身を幸せにするものを探してください。ほかの人を幸せにすることを考えてください。
それは世界を変えるということではなくて、自分自身を変えるということになるのです。例えば、私は世界を変えたかった。でも、現在、私は家のなかの掃除をしている。ということがあるかもしれない。世界を変革するのは、かなり複雑で難しいものなのです。
でも、長期的には何かが残るでしょう。大きな闘争、大きな敗北のあとで。そして、その闘争のあとで、世界は違うものになっているでしょう。前とまったく同じ、ということはないでしょう。
質問者3 ありがとうございました。
(会場拍手)◆ムヒカ氏「テレビに必ず疑いの目を持つこと」 情報を判断する力の必要性を説く◆
テレビは利害関係を映し出すもの司会 ありがとうございました。本来はもうお時間なんですが、たくさんの方が挙手してくださいましたので、あとお二人、ご質問をお受けしたいと思います。それでは、後ろから2列目のスーツの男性にマイクをお願いします。
質問者4 (スペイン語で)非常にすばらしいスピーチをありがとうございました。あなたの見方では、テレビと政治の関係についてどう思われますか? 現在、ここに多くのテレビ局が来ています。多くのジャーナリストがいます。マスコミの人がたくさんいます。
私は、日本のテレビは政治のテーマについて、深く伝えることはないというふうに思っています。
ホセ・ムヒカ氏(以下、ムヒカ) そうですね。たしかに実際、気をつけなければいけないことはあると思います。私は3日、4日ほど前から日本に滞在しています。私は日本語がわかりませんが、いろいろな絵、図案を見てきました。
それによってさまざまなコミュニケーションがなされています。全般的なかたちで唯一私がこれについて申し上げられることは、当然ながら、私たちは市場社会に住んでいます。文明とその周りには、市場の機能があります。テレビがそれらの全体的なものを示しているとも思いません。
しかしながら、「このクリームを使えばシワがなくなる」とか言って、いろいろなコマーシャル、いろいろなプロモーションをするわけです。「こういうものを買いなさい」というようなことがたくさん言われます。
なぜならば、当然、企業というのは予算を組んで、その製品を売るためのいろいろなキャンペーンしなければならないからです。でも、世界の中においては客観性があります。すなわち、客観性ある名誉ということです。
だけど、中立なんてありえないんです。誰も中立であることはありえません。なぜなら私たちは物事を見るときに、自分が考えることに基づいて、いろいろなものを見るからです。ですから、利害と社会階級があるのです。
そして、情報は人間によって作られるものです。ある意味でテレビはそういった利害関係を映し出すものかもしれません。情報は、そういった人たちによって作り上げられているからです。それは現実かもしれません。
◆必ず疑いの目を持って、裏を取る必要がある◆
ムヒカ ですから、しっかり学ぶ必要があります。自分自身の考え方を、いろんな情報源を当たりながら、自分の考えを構築する必要があります。必ず疑いの目を持って、裏を取る必要があると思います。
私たちはマスコミが大きな比重を占める社会に生きています。テレビのない社会はありません。例えば、テレビに出てこないものは、まるで存在しないかのようです。見かけ上は。
しかし、テレビは世論形成に重要です。今、私は学生、大学生に向けて話しています。一般の市民、一般の市井の人々というのはわりと無邪気で、何か言われたことを鵜呑みにして信じてしまいます。
でも、みなさま方はもっと高い教養を持っている人だとすれば、さらに深い洞察をする義務があります。もっと深く考えること。ほかの人が表面的な部分しか見ていないことを、しっかりと見ていく。そういったことをみなさま方がしなければいけません。それが闘争の一部でもあると思います。
私たちは理性で考えなければいけません。しっかり物事を見なければいけません。それに基づいて、現在、社会に何が起きているのかを、深い洞察をすることによって分析し、それをほかの見えない人に伝えなければいけないと思います。
ですから、よく考えてください。そして、口を閉じないでください。ちゃんと伝える手段を、みなさんは持っているんですから。私は好きじゃないですけど、みなさんが毎日毎日使っている、こういう使える道具(注:スマートフォン)があるんですから。
もちろんバカげたことに使うこともできるでしょう。でも、非常にすばらしい高貴な大義のために、この道具を使うこともできるでしょう。
質問者4 ありがとうございました。
(会場拍手)◆男性は女性から選ばれているんです◆
司会 大変貴重なご質問をありがとうございました。では、残すところ、あと1人の方、お願いします。それを決めるのは大変心苦しいんですが……。では、一番高く挙げてくださっている、セーターをお召しの方にお願いいたします。
質問者5 こんにちは。そろそろムヒカさんは日本語を聞きたいと思っていると思うので、日本語をしゃべらせてもらいます。
(会場笑)質問者5 ムヒカさんは、この世で一番大切なものは愛だとおっしゃいました。僕も、たしかにそうだと思います。しかし、ときに愛ってものは、やっぱり愛がゆえに闘争とか貧困を生み出してしまうのかな、って僕は思ってしまいます。
例えば、ここに美しいすてきな女性がいるとします。僕は彼女を手に入れたい。でも、また違うところに、いっぱいいろんな男が狙ってるわけですよ。やっぱり僕は、「彼らをいかに倒すか」ってことを考えてしまうんですよね。
ここに僕がもしすべての人を愛したら、やっぱりここにいる男たちと彼女を一緒にシェアするのが一番いいわけなんですけど、それはできない。やっぱりここには闘争が生まれてしまう。で、僕はそのために財力をつけたり、いかに魅力的な人間になるために教養を身につけたり、そういうことを考えます。
で、やっぱりそういうことを考えると、愛がゆえに闘争が生まれるのかなって思ってしまいます。そしてまた、家族ができたとします。家族ができたら、やっぱり人間は自分の家族が一番かわいいですから、ほかの人たちより自分の家族をいい目にあわせたい。だから、おいしいご馳走をしたり、すてきな場所に連れて行ったりするわけです。
そういうことをしていると、やっぱりこういう自分の家族だけをいい目にあわすっていう気持ちが、やっぱり貧困とかを生んでしまうのかなと思ってしまいます。
そういうことを考えたら、人を愛すっていうことは難しいなと思って、また、すべての人を愛すっていうことは同時に、誰も愛してないってことになるかもしれませんし、いかに僕はここにいる人間っていうか、世界のすべての人々を愛すことができるのでしょうか?
ムヒカ もちろん、あなたの愛に対するビジョンは、非常に個人主義的な考え方だと思います。所有的な考え方だと思います。あなたは好きな女性を自分のものにしたい。手に入れたい。
……でも、彼女に聞かなければいけないじゃないですか?(にっこりと微笑む)
あなたに征服されたいと思っているかどうか、彼女にも聞かなければいけないでしょう。
質問者5 最近、それでよくもめています(笑)。
ムヒカ 私が思うに、それはちょっと男尊女卑の考え方もあるような気がします。知性的に……。例えば男尊女卑ではなくて、女性が選ぶんですよ。ひょっとしたら気づかないかもしれませんけれども。自分だけが独立している、自分だけで決められるなんて思わないでください。
質問者5 わかりました。
(会場笑・拍手)ムヒカ 今言っているのは冗談に聞こえるかもしれませんけど、生物科学的に考えれば、彼女も無意識かもしれません。でも、彼女が選んでるんですよ。彼女にとって、子孫を残すとしたら誰と残したほうがいいのかと。
これはバカげたことではありません。ここに(胸に手を当てながら)メカニズムとして、私たちに刻まれているんです。まるで私たち自身が自分たちを支配しているような錯覚があるかもしれませんけれども、自然としてのメカニズムに私たちは動かされているんです。ですから、自然学、生物としての本性を尊重しなければいけないと思います。
おっしゃるコンフリクト(衝突・対立)というのはわかります。でも、生きるということは、コンフリクトを持つことなんです。コンフリクトがない人間は墓場にいる人だけでしょう。生きてる人なら、誰でもコンフリクトは抱えています。
問題は、どうやってそのコンフリクトをマネジメントしていくのか。コンフリクトを持つことは避けません。ですから、みなさんは家族のために、例えば家族を守るために戦うというのは当然です。それはいいことです。
でも、だからといって、ほかの人のために何にもできない、ということではないですよね? ほかの人にも何かができたとすれば、自分と家族にとってもすごく幸せに感じるでしょう。隔離されて、社会の中で生きていくことはできません。
◆パートナーと世界を良くしようと戦ってきた◆
ムヒカ 例えば、私は私のパートナーと、一生懸命、世界を良くしようと思って戦ってきました。それで、子供を持つ時間がありませんでした。
私たちは小さな地区に住んでいます。多くの子供たちがいます。勉強する経済力がない子供たちがいっぱいいます。私たちはそういった子供たちが勉強できるように学校を建てて、国にプレゼントしました。
なぜならば、私たちは子供を作ることができなかったけれど、親がなくて勉強できない子供たちがいるわけですね。生物学的には私の子供はできなかったけれども、彼らは私にとって子供です。
私たちは、それが人間だし、私は人生を愛しているから、そういうことをしています。そういうふうに考えてみてください。自分の子供のことも。
質問者5 ありがとうございます。
(会場拍手)司会 大変すてきなアドバイスをありがとうございました。学生のみなさんもたくさんの質問をありがとうございました。お時間の関係で当てられなかった方、本当にごめんなさい。
それでは、これをもちまして質疑応答の時間を終了いたします。ここで写真撮影の時間をほんの少しお取りしたいんですけど、よろしいでしょうか? ぜひこの機会に写真を収めたいという方は、今(カメラを)出していただきまして、その座席のまま、その場でお撮りいただければと思います。
それでは、写真撮影の時間にさせていただきます。
(会場の学生がスマートフォンを取り出し、客席からムヒカ氏を撮影する)
ムヒカ (微笑みながら手を振る)
あの……写真を撮るよりも、もっとすごく楽しいこと、いいことってあるんじゃないですか? って思うんですけどね。
司会 すいません。日本人はどうしてもこの写真を撮るというのが大変好きなもので(笑)。その時間をちょっと設けさせていただきました。
さ、それでは、みなさま大丈夫ですか? 撮れましたか? お付き合いくださいまして、ありがとうございました。さあ、それではよろしいでしょうか?
これで本日の「世界で一番貧しい大統領、ムヒカ前大統領による講演会」終了したいと思います。ムヒカ前大統領、本当に今日はたくさんのご質問も受けてくださってありがとうございました! 盛大な拍手でお送りしたいと思います、ありがとうございました
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