人が年を取るということを実感するときと、子供を育ててパラレルな時間を歩む意味

どーも。年齢を重ねることを喜ぶ会代表の自然人タカ(@viatortaka)です。

気がつけば三十路を超えた。僕の周りではアラサーアラサーという声が鳴り響き、アラサー女子は東山アキコの「東京タラレバ娘」を読んで共感ならぬ阿鼻叫喚をきわめている。「~だったら」と「~であれば」が口癖のアラサー女子漫画は実際かなり面白い。

それはさておき自分がいつのまにやら30歳を超えていることに驚く。記号として年齢を認知しているものの妙に実感がないのだ。その理由の1つは世界一周にあることは分かっている。

僕は2009年から2012年の約2年半、自転車で世界一周をしていた。25歳のときに旅立ち、28歳になって帰ってきた。その間はまるで精神と時の部屋で過ごしたかのごとく現実での時間は経っていない・・・ように思われた。

俗世から離れて放浪していた期間は当然現実には時を刻んでいる。友人と以下のような会話があって気付いた。

友人「子供産まれたんだよ~」
僕「おめでとう!あれ?僕が出発するとき彼女いなかったよね?できちゃった婚?」
友人「ちげーよ。お前が出発してからすぐ彼女ができて、1年付き合って結婚して、1年新婚生活して、子供ができたんだよ」
僕「なんと順調な!?(そんな時間が経っていたのか・・・)」

旅をしていたのは2009年から2012年で、それだけの時間があった。しかし旅をしていると全く実感がなく、上記のような会話をして長いこと旅をしていたのだと体感し始めるのである。

年を取ったことを真に実感するとき

帰国した後に僕が大学生だったときに家庭教師をしていた小学生と会う機会があった。6、7年ぶりの再会となり、彼は大学生になっていた。かわいい小学生がイケメン慶応ボーイになっている姿を見たとき、自分が歳を取ったことを悟ったのだ。

リアル脱出ゲームで僕が作ったオリジナル問題の解答編!と貸切誕生日パーティーの写真

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写真が見当たらなかったが、大学生のときに大学受験の面倒を見ていた教え子とも再会した。彼はすでに社会人になっており、一緒に酒を飲んだ。もはや生徒と先生という関係性ではなく、大人同士。それもまた時間の流れを意識させられた。

旅から帰国してからの教え子もいる。田舎暮らし始めるまで教えていた中学生たちと先日久しぶりに再会した。それぞれの子を別に教えていたのに、彼らはたまたま同じ高校の同じ部活に入り友達になっていた。その3人でご飯を食べに行ったときの様子。

人が年を取るということを実感するときと、いうても年齢なんて関係ないと思うとき (4)

中学生から高校生だとそこまで変わらんな~と感じたのも事実だが、彼らは確実に大人への階段を歩んでいた。高校生の恋愛事情を聞きながら楽しい時間を過ごした。

こういった機会をもらうと年月を計る絶好のチャンスとなる。歳を取るということは、若者の成長とパラレルな視点で見る必要があるのかもしれない。

子供がいない人が若い理由と子供を育ててパラレルな時間を歩む意味

自分の時間軸に若者(子供)の時間軸を照らし合わせて歳を取ったことを実感した。その観点で考えると、子育てとは自分の時間軸に子供の時間軸を入れ込むことなのだと思う。

子育てをしている友人とも会うが、彼らの時間軸は僕と違うと感じるときがある。それは彼らの中に子供の成長という時間軸が混在しているから。自分の人生が進むと同時に、子供の人生が進んでいる。

大人になると幼少期と比べると変化は乏しくなりがちだし、日々が漫然としてくることが多い。ともすると時間の経過を感じぬまま時間ばかりが過ぎていくのだが、自分が老いていく実感はない。だが子供の時間軸が自分の人生を入りこむことで、あたかも2つの人生が自分の中にパラレルで発生するのではないか。

子育てをしたことないから分からないが、生徒の成長を見て思ったことである。

ちゃお!







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管理人のたかです。1984年4月20日生まれ。不動産会社での開発業、自転車世界一周、地域おこし協力隊を経て、愛知県新城市の古民家で宿泊事業をはじめました。SNSでフォローしていただくと最新記事を読むことができます。よろしくお願いします。