どーも。2014年4月に地方に移住した自然人タカ(@viatortaka)です。
断捨離という言葉がここ数年流行っている。断つ、捨てる、離れるという文字の組み合わせ。不要なモノを減らし、生活や人生に調和をもたらそうとする生活術や処世術を指す。この言葉が世を賑わす前から、僕はミニマムな生活を志向してきた。
「必要最小限しかいらない」という考え方を促進したのはアウトドアにはまってからである。登山、自転車ツーリング、カヌーツーリングといったアウトドアにはまったのは12年前。持ち運べる荷物は限られるし、荷物を増やすほど機動力は落ちていく。
あれば便利、といった程度のものはどんどんリストラされる。総合的に荷物のバランスを考え、己にとっての最高のバランスとなるように持っていくものが決まる。1人の人間が持てるものの量はたかが知れているので、基本は持ち物を削っていくこととなる。
その考え方は暮らし、そして生き方まで影響を及ぼしていった。
便利なものなどいらない
あってもなくてもいいものは、全ていらない。本当に必要なものだけで人生を彩りたい。
アレがあると便利だよね、というものが世の中に溢れている。しかしシンプルライフを志す人の考え方は違う。アレがないとストレスがたまって悶絶死をしそうになる、というレベルのもの以外は不要なのだ。
それ以外のものは手に入れないし、持ってしまえば捨てる。物を手に入れるということに慎重になり、捨てることにはためらいがない。捨てて、捨てて、捨てまくる。そんな風に書くと物を大切にしないようだが、そもそも手に入れるもの自体が厳選されているので捨てることは少ない。
僕は今、車を持っている人しかいない場所で、車を持たない生活をしている。持てば便利なのは分かっている。しかし持たずになんとかなっているうちは持ちたくないのだ。まだ大丈夫なラインであり、あってもなくても大丈夫ならいらない。
環境にやさしい生き方がしたい。エコライフ
物を持たない暮らしを志す背景には地球環境がある。僕らの周りに溢れている多くの物は地球の資源を切り崩している。これは千年とか億年という単位の年月がくれた贈り物であり、その時間的価値を計算せずに物の値段がついているように感じるのだ。
無料でもらえるから使い捨てでいいとか、安いから買い換えようとか、そういうのがもったいない。子供、孫、これからの人々や、地球に住む動物のための資源を現在の資本主義の値段だけで押しはかって捨てているように見える。
2009年から2012年まで2年半ほど自転車世界一周したとき、多くの発展途上国の人々が日本のような先進国にあこがれを抱いていることを体感した。物が足りない人々は物を欲している。世界中の人々が経済発展を目指し、身のまわりに物が溢れる方向に進んでいる。
そのベクトルで世界は加速度的に動いているが、それは同時に地球の資源を加速度的に消費していくことに繋がるだろう。木、水、土、空気、エネルギー、食べ物、何もかもがいつか足りなくなるように感じる。
自分1人が消費量を減らしたからどうなるとは考えていない。しかし自分1人が少しでも消費行為を減らすことを、みんながやるしかないようにも思う。人に強制するわけでもなく、自分に対してもストイックに制限を設けているわけでもない。ただ、やれることをやりたいだけ。
肩書きを捨てる生き方
物を持たないことは身軽さに繋がる。常に動きやすい状態にし、己のわくわくセンサーに対して迅速に反応したい。
そんな中で物だけはなく肩書きも定期的に捨てていく方が楽しい人生を送ることができるように感じている。
良いと言われる高校に行き、良いと言われる大学に行き、良いと言われる会社で働く、といった世間的に良いと言われる人生のレールがある。僕はそのレールに沿って生きていた。
自転車で世界一周をするにあたってそのレールから降りた。その会社を辞めるなんてもったいないと言われたわけだけれど、辞めて心が軽くなった。それは会社が嫌だったという意味ではなく、見えない荷を下ろしたから。
肩書きを持ちレールの上を歩き続けることは、レールから降りることを難しくしていく。荷がまだ軽いうちにこまめに降ろしておかないと、身動きが取れなくなるような気がするのだ。
何者でもない自分にときどきは戻りたい。そんな風に思っている。
シェアの時代
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そんな仲間を募集しています。
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