世界を自転車で旅しているときに気付いたことがある。僕はいつの頃からか
「考えること」と「情報収集」がごっちゃになっていた!!
これは大いなる問題であるし、同様の症状に見舞われている人は多いような気がする。
旅をしていたときの話
南アメリカ大陸南部のパタゴニアと呼ばれる地域では、地平線まで続くまっすぐな道が続く。僕はその道を一日3~7時間くらい自転車を漕ぎ北上していた。
内一時間くらいは音楽を聞いていたが、それ以外の時間は自転車を漕ぐのみ。日が暮れる前にテントを張り、夕食を済ませて日記を書いたら特にやることはない。当時はパソコンを持っておらず、毎日午後7時くらいからは特にやることがなかった。
なにが言いたいかというと、暇な時間だらけだったのだ!!
自転車を漕いでいるときと暗闇のテントの中。一日に少なくとも5時間くらいは「考えるのに適した時間」があった。日本で働いていたころにはあり得ない。こんな贅沢なことはないよね、といろいろなことを考えた。
考えるのは相当の労力を要する。数時間連続して考えるということを繰り返しているうちに、それを知った。逆にいえば、今までは長時間考えていなかったということだ。
あることについて知りたいと思ったとき、まずは調べるという癖がついている。それはインターネットを使うようになってから加速化した。
インターネット検索をすれば誰かしらが考えたことを知ることができる。あるトピックについて複数の考察を読むと、自分なりに思うことが出てくる。それを複合して「自分の考えらしきもの」を作りだす。だがそれは決して自分で考え出したわけではない。
情報収集している時間の方が、それらを自分なりに解釈して複合させる時間(考えている時間)より長い。そもそも収集した情報は本当に正しいのか?、それ以外の考えはないのか?といったことを考える時間は短い。
旅の暇な時間では、自分が知っていることや疑問に対して、なぜ?という問いを重ねた。それこそが考えることだ。ネットや本を読んでいる時間とは情報収集なのである。情報は自分が考えるための材料のはずなのに、情報(他人が考えたこと)を、まさに自分が考え出したかのような気分になっていた。それに気付いた。
「考えること」と「情報収集」を混同してはならないし、思考力を鍛えるためには「なぜ?」を重ねていくのみなのである。
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