人との距離感を見直した時期と学んだこと

2009年に自転車世界一周に旅立った。

ずっとやりたかったことを実現していたあの日々は、僕にとってかけがえのないものだった。

2012年に帰国し、それから6年が経つ。

自転車世界一周はまるで夢だったかのようで、ときどき本当に旅をしていたのかと思う。

そんな旅のことにふと想いを馳せるのは、旅の話をしたあとに1人になったとき。

僕にとって自転車世界一周はなんだったのだろうか?

自転車世界一周の意味

自転車で世界一周したことを知られたとき、たまに投げかけられる質問がある。

知人
自転車世界一周に出て人生観は変わった?

自転車世界一周に出て変わったことの1つは、人生において死ぬほどやりたいことが失くなったことだろう。

例えば3ヶ月後に死ぬと宣告されたとして、自転車世界一周前であったなら、なぜ僕は旅に出なかったのか?という後悔の念に苛まれていたはず。

それが失くなった。

今3ヶ月後に死ぬと宣言されたら、「嗚呼、良き人生だったなあ」という気持ちである。

この心地の変化は途方もなく大きいことで、自転車世界一周に旅立った意味だと思う。

死ぬほどやりたいことがないというのは、寂しいことだと感じたときもあった。

しかし今は、極めて良き感じで生きており、それもまた人生といった感じだ。

人生でやらねば後悔することを失くした。それ自体が自転車世界一周の意味であり、価値であった。

もう1つの自転車世界一周の意味

人との距離感を褒められることが最近続いた。

僕の他者へのスタンスを一言で表せば「無理はしない」であろう。

自分にとって続けることが難しくなる気遣いはしない。相手が不快にならない程度の気遣いで、自分の楽しさが最大になるように接する。

それでも付き合いを継続してくれる人のみと、関係が続く。

知人
他者に対してオープンで、そのスタンスが一貫していそうだと感じた

とある知人に言われた第一印象。

警戒から入り、だんだんと心を開いていく人もいる。心を開いているような感じでも、だんだんと選別していく人もいる。

それに対して僕は、はじめから開けており、きっとその姿勢は変わらないと感じたらしい。

その知人は僕のスタンスが好印象だったから再び会いに来てくれた。

僕のスタンスが素晴らしい、と書きたいわけではない。書きたいのは僕のスタンスがどこで形成されたかということだ。

人との距離感は長らく大きな課題であったが、ここ10年は良好な状態を保っている。自分なりのスタンスを見つけたということだろう。

いつ、どのように、他者といい塩梅の距離感を手に入れたのか?という疑問が生じた。

自分のスタンスを見つけた大きなきっかけが「実は自転車世界一周だった」と、気付いたことについて書きたい。

俗世と離れた3年間

世界一周に出る前、いろんな企画をしたり、週4~5とかで友人を誘って飲み歩いていた。

人をよく誘い、頻繁に会っていた。

週1で会う人から年1で会う人やら、会う頻度の濃淡はそれぞれだった、

そして世界一周に旅立ち、俗世を離れた。

当然のことながら、僕から友人に声をかける機会は激減した。

そんな中で連絡をくれる人や会いに来てくれる人=旅立つ前によく会っていた人、ではなかった。

「世界一周帰国後に振り返る印象的でインパクトのあった小話ランキング10」の6位に書いたが、チリの大地震のときに外務省に僕の安否を問い合わせてくれた友人もいた。

彼とは旅の出発前に頻繁に会っていたわけではない。

世界一周帰国後に振り返る印象的でインパクトのあった小話ランキング10

2012年12月17日

旅の最中に会いに来てくれた友人は10人ほどいるが、必ずしも出発前によく会っていたわけではない。

かつて多くの場合に声をかけて誘うのは自分だった。それに応じてくれる人と頻繁に会っており、彼らと仲がよいと思っていた。

しかし、僕が自転車世界一周に出てから一度も連絡を取っていない人もいる。

僕が誘わなければ、もはや会うことはない。それが誰であるのかが分かってしまった。

自分の片思いと言っても良いだろう。

僕は片思いの人と会うのをやめた。

自転車世界一周は、旅立つ前に築いた人間関係の「中間テスト」だったと思う。

どういう付き合い方をしていた人と繋がり続け、どういう付き合い方をしていた人が離れていくのか。

人生における中間地点ではあるものの、マルバツがついた。

幸いなことに付き合う人間の数は多かったので、多くの問題を解いたことになった。

その結果を踏まえて、自分がどういう人と繋がり続けるかの傾向が掴めたことは大きい。

おのずと自分の他者へのスタンスが形成された。

相手が不快にならない程度の気遣いで自分の楽しさが最大になる塩梅を探し、それでもOKを出してくれる人と関係が続いてゆく。

それで良い。

両思いになりたい

タカハウスという宿をはじめた。

宿のメインが週末なので、週末に出かけることが難しくなった。

両思いでありたい人の中には、僕ばかりが会いに来てもらう形の、向こうから僕への片思いっぽくなっているものがある。

本当に申し訳ない。

また、会う人の中には「宿やっているので泊まりに来て」と伝えている人がいる。誰にでも言っているわけではない。

両思いになりたいという気持ちがある人にしか言わない。

最後に、両思いだと信じているけれど、まだうちに来てくれていない人がいる。

いつ来てくれるのだろうか・・・

ちゃお!

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管理人のたかです。1984年4月20日生まれ。不動産会社での開発業、自転車世界一周、地域おこし協力隊を経て、愛知県新城市の古民家で宿泊事業をはじめました。SNSでフォローしていただくと最新記事を読むことができます。よろしくお願いします。