鶏を解体して食べる”命の教育”で思うこと

どーも。命を奪うことと食べることを考える会代表の自然人タカ(@viatortaka)です。

狩猟免許を取ってから2年。鹿や猪の解体は何度か経験した。それ以前に自転車で世界一周しているときにアフリカ大陸のマラウィで鶏の解体をしたことがある。

魚釣りや魚突きを始めて魚類を解体し、海外旅行中に鳥類を解体し、帰国して哺乳類を解体した。自分としては食べることと命は切っても切れないもので、大いなる学びがそこにあった。

段々と衣食住に興味関心が強くなり、衣は藍染め、食は狩猟解体、住は家づくりといった方向にベクトルを向けている中で、衣食住や自給自足を学ぶ空間を作ろうかと考えている。生活の基礎である衣食住の学びに適した場所づくりは、村づくりの一歩目にふさわしいのではないかと検討している段階。

そんな折に鶏の解体をふたたびする機会があり、未経験の友人がはじめて鶏を絞めるところから食肉にするところまでを経験することになった。

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以下はSNSにて命を授業と題した友人の投稿。

【命を頂戴しました。命の授業。】

鶏をさばいて、鍋にして食べました。

普段、当たり前のように肉を食べていますが、自分の手で命を奪った動物を食べるのはとても特別な気持ちでした。

当たり前の事ですが、鶏の羽を掴んで喉元をナイフで切りつけると本当に苦しそうな声を出して鳴くのです。そして、命かながら逃げようと暴れるのです。しばらく暴れ鳴き叫んだ後、だんだんと息絶え、絶命していくのです。

そんな目を覆いたくなるような苦しそうな様子を見ながらも、容赦なく足を持って宙吊りにしながら血が流れ落ちるのを待ちます。(血抜きという肉を美味しく食べるために必要な行為です)

死んだばかりの動物は暖かいです。ちょうど猫を抱えているような感じです。それがどんどん抱えた手の中で冷たくなっていきました。

死んだ鶏はそのままでは食べられません。全身の羽を手でむしっていきます。さっきまで生きていた鳥の羽をむしり取っていくのは、死んでいるとはいえ、なかなか心苦しいものがあります。

羽をむしったあと、細かい毛を取り除くためにガスバーナーであぶります。

こうして1枚目の写真のところまでくると、やっと、動物というよりも食肉として向き合えます。

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当然ながら、一羽まるまるさばいているので、もも肉やムネ肉だけでなく、内臓から皮まで全部揃います。

内臓は、ともすれば捨ててしまうことも考えるのですが、さっき自分で命を奪った鶏の食べれる部分を捨ててしまうのは何だか申し訳ない気持ちになりました。

その結果、鍋には全ての部位をぶち込む事になり、発生するアクが半端ないことになりました。

死んだイノシシを解体して肉にした体験はありましたが、生きている生き物を殺すところからの体験は初めてでした。

小学生の頃、理科の授業でフナの解剖をしたのとは、やはり違う気持ちでした。

相手が魚よりも動物に近い、鳥だったこと。殺した後に自ら食べて、命を戴いたこと。自分が大人になり、命のことを少し意識できるようになったこと。

さばく技術が至らなかったことや、食肉用の鶏ではなかったこともあり、死ぬほど硬くて、お世辞にも美味しいとは言えない鶏肉だったのだけれど、不思議とマズイと思うことはなく、食べながら感謝の気持ちが湧いてきました。

店で買った肉だったら、硬くてマズイ肉だなぁと確実に文句を言っていたでしょう。それくらい決定的に美味しくはない肉でした。

それでも残さず食べたいと思ったし、硬くて噛みきれないけど一生懸命噛み付いて、噛んで噛んで頑張って食べました。

なんだか残酷な表現に思えるけれど、首を斬られた鶏の苦しそうな声と、暴れる姿を思い出して、有難く食べることができました。あの苦しそうな姿と息絶える瞬間の儚さは、しばらく忘れることの出来ない感覚となりそうです。とても可哀想でした。

ベジタリアンなど肉を食べない一部の人を除いて、ほとんどの人が肉を食べます。現代においては肉を食べないと死ぬという訳ではないけれど、それでも貴重なタンパク源として肉を食べます。栄養の問題だけではなく、肉は美味しいからやっぱり食べます。

「命は大事、殺すのは可哀想、という綺麗事で済まされることではない。」

そのことが、自分で殺した鶏を食べたことで初めて実感を持って納得できました。間違いなく可哀想だと思ったし、殺す際に罪悪感も覚えたけれど、今回の経験を通じて、肉を食べるのをやめようとは全く思いませんでした。

ただ、肉に向き合う姿勢は少し変わったように思います。

当たり前のように供給される肉の裏には、鶏の苦しみと命の犠牲がある。

私たちが忘れかけている当たり前なそのことを今回の経験を通じて感じることができました。

命の授業、おしまい。

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動物の解体という命の授業

友人の文章の途中にある「死んだイノシシを解体して肉にした体験はありましたが」というのは、僕が企画したイベントの1つ。今回の鶏の解体は〆るところからやったので感じたことまた違うのだろう。

解体を経験しなければ肉を食べるな、とは言わない。一部の人にとっては解体は挑戦したいことであり、そこに深い学びがある。こういうことを学べる場所づくりをしたいと感じた。

衣は綿花作りから藍染め、食は動物の解体や野菜の栽培、住はセルフビルドの家づくりといったことを軸に据えた宿泊施設を作り込んでみたい。

ちゃお!

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