インターネット時代のお金が不要な次世代コミュニティ

今の日本ではコミュニティが求められている。

高度成長期と呼ばれる時代を経て豊かになり、多くの人が窮屈な村を飛び出して核家族となった。三世帯住宅や二世帯住宅をやめて一世帯で住めるようになったのは、間違いなく経済的に成長したからだ。そうやって良くも悪くも村社会は失われていった。

2012年11月現在、日本の経済的な成長は止まりつつある。少子化と高齢化が同時に進み、過去にない人口構成となった。社会構造が大きな変化を迎えている中、日本政府や企業は適切な対応が出来ていない。例えば、年金は破たんすると言われて久しいし、終身雇用の崩壊が叫ばれ続けていても雇用に関する問題が解決される様子がない。既存の社会に頼ることが難しいのが日本の現状だろう。

そんな状況下で人々の間で進んでいる動きが「シェア」だと感じる。家をシェアする(シェアハウス)、車などの道具を友人とシェアする(カーシェアリング)、という話がそれだ。シェアは時代に合っている動きであり、今後どんどん促進されてゆくはず。このシェアという行動によって、新しいコミュニティが出てくるように思うのだ。

村社会では物理的な距離によって付き合う人が決まった。ご近所さん、というのはそういうものだ。ウマが合う人も合わない人もいる。持ちつ持たれつの関係は必ずしも心地よいわけではなく、世間体に気を煩わせることもある。狭くて窮屈な感じの村社会は失われていき、今の人々は村社会に代わるコミュニティを求めるようになった。しかし、失われた村社会的なコミュニティが復活するとは思えない。三丁目の夕日の時代には、もう戻れないのだ。

今やネットが普及し、連絡するコストが劇的に下がった。会わずに連絡を取る手段と言えば、以前は家の電話と手紙が主流だったが、今や携帯電話とEメールである。いつでも、どこでも気軽に連絡をとることができる。それによって自分が好きな相手と繋がっていられる時間が増えた。

このご時世で求められているコミュニティとは、ご近所さんという物理的な距離で決まる人間関係ではなく、自分が真に好きな仲間、何かを分かち合いたいと感じる仲間がいる場所ではなかろうか。通信コストが下がり、それができる時代が訪れたのだ。(※物理的に会うことはもちろん大事だし、逆にそれが鍵だと考えている)

「何かをやってあげたい」というギブの精神を、ご近所さんではなくて自分が好きな仲間に発揮することによってコミュニティが形成される。今の時代にあったコミュニティの在り方。ちなみにギブの精神とは、自分がいらないものを必要とする人にあげる(貸す)、自分のスキルを積極的に人に提供する、といったことで、1つのシェアだ。はじめにだした例であるカーシェアリングやシェアハウスも、出来ることなら好きな仲間としたいよねってこと。シェアの行動によってつながりが生まれてゆき、助けあう関係性が構築される。

そんなコミュニティを作れたら面白いなって、世界で自転車を漕ぎながら考えていた。

<おすすめ関連本>

「僕はお金を使わずに生きることにした」

「独立国家のつくりかた」

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