「なぜ世界一周に出たの?なぜ自転車なの?」

よく聞かれる質問がある。
「なんで世界一周に出たの?なんで自転車なの?」

その都度てきとーに答えていたのだけど、「楽しそうだったから」が回数としては一番多かったはず。目的があったわけではないし、わくわくしたからというのは真実である。ただ、答えとしては不親切なので、もう少し補足してみたい。

思い返していくと、2004年の夏に自転車で日本一周をしたことがもっともしっくりくる理由だ。早稲田大学の大隈行動でゴールテープを切った日、多くの友人が集まってくれた。ビールかけをしてもらい、みなの前でスピーチをした。話した内容はまったく覚えていないのだけれど、こういうことをまたやりたいなって感じたんだよね。日本の次は世界かな~、なんて思った記憶がある。

自転車で日本一周をする前、アウトドアサークルの先輩らに「お前には無理だ」と言われた。実際出来るかなんて分からなかったけど、やってみたかった。むしろ最後まで走り切れるか分からなかったからこそ、試してみたかった。

日本一周ほどわくわくしたのは人生で一度だった。オーストラリアに高校留学したときである。通っていた高校に交換留学制度などがあったわけではなく、1年間留学することを自分で選んだ。親に頼みこみ、留学斡旋機関に話を聞き、ノヴァに通わせてもらった。行ってどうなるのかなんて、まったく分からなかった。ただ、心が昂ぶっていた。

留学以来のわくわくが日本一周であり、やはり未知が故に楽しみであった。本当に自分にできるのか?自転車について学び、バイトをしてお金をためる。自炊をして節約し、地図を見て計画を練る。夏が近づくのを心待ちにしていた。

自分にはできないんじゃないかという考えが杞憂にすぎなかったのは、旅が始まってすぐに気がついた。日本一周は楽しすぎたのだ。同級生4人で東京を出発し、仙台まで走った。そこからは3人で北海道へ。北海道ではサークルの仲間と合流して10人ほどで一緒に走ったり、高校の同級生の家に泊めてもらったりした。本土最北端の宗谷岬と最東端の納沙布岬を咎め、秋田へ。

秋田でも友人が遊びに来てくれたし、知らない人に家に泊めてもらった。ところどころでスペシャルなイベントが待ち構えていた。日本海側を南下していくときは1人で走り、兵庫で再びサークルの仲間と合流した。北海道のときとは違うメンバー15人ほどで福岡までゆく。

福岡からは2人で走り、本土最西端の神崎鼻、本土最南端の佐多岬を咎めて再び3人に。四国からはまたまた2人に戻り、太平洋側を東京まで駆けた。72日間7000kmの旅は、忘れられない思い出であり、人生に彩りを与えてくれた。

72日の間に、一緒に走る仲間がどんどん入れ替わったのは刺激的だった。新しい景色と出会い、地場の食べ物を頂き、違う仲間と走る。好奇心の器が満たされる毎日。楽しすぎる日々を終わらせたくなかった。まだまだ続けていたかった、というのは世界一周へと繋がる想いだったのかもしれない・・・







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管理人のたかです。1984年4月20日生まれ。不動産会社での開発業、自転車世界一周、地域おこし協力隊を経て、愛知県新城市の古民家で宿泊事業をはじめました。SNSでフォローしていただくと最新記事を読むことができます。よろしくお願いします。