旅に出てから3度目の誕生日。一昨年は南米のチリ 、去年はアジアのネパール、今年はアフリカのマラウィで迎えることになりそうだ。改めて確認すると、世界を旅していることを実感する。幸せなことに、過去二回の誕生日は友人にお祝いしてもらっている。同様にお祝いをしてもらえれば嬉しいけれど、今年は1人で誕生日を過ごすだろうと思っていた。
4月18日にマラウィに入国した時点で1人。4月20日の誕生日は2日後で、その区間に大きな街はない。アフリカの田舎町で誕生日を祝ってもらえるような出会いがあった試しはなく、どこで1人誕生日を過ごそうか考えていた。やっぱりマラウィ湖湖畔で魚をつまみにビールを飲みながらキャンプしてのんびり過ごすのがいいかな、な~んて。
しかし、物事は思うようには進まない。むしろ驚きの展開が待っていた。
マラウィ入国初日、泊まる予定だったカロンガまで数キロのところである。カロンガ目指して自転車を漕いでいたら、後方から声をかけられた。「こんにちは!」不意打ちにギョとして顔を向けると、隣にはバイクに乗った日本人女性。何者!?という疑問が浮かぶと同時にバイクに書いてあるJICAの文字が目に入り、疑問は氷解。青年海外協力隊の人だ。
並走しながらちょっと会話したところ、彼女自身も協力隊で来ていると教えてくれた。それに続いたヨウコさんの言葉は
「新しい協力隊のメンバーが今日カロンガに来て夕食を一緒に食べるから、良かったら来ませんか?」
嬉しいお誘い。躊躇することなく参加したい旨を伝える。このような出会いから始まり、その日は夕食を御馳走してもらい、泊めてもらった。話の中で誕生日が明後日であることをぽろりと漏らすと、お祝いしますよ、の一言。そのままもう一泊させてもらい、19日の誕生日前夜に祝ってもらったのだ。確実に1人だと思っていたから嬉しさ倍増である。
28歳の誕生日でスペシャルだったことと言えば、人生で初めて鶏を捌いたこと。ヨウコさんは庭で鶏を飼っており、誕生日祝いに一匹食べようという話になった。それは僕が捌かせてもらうことに。やってみたかったんだよね。
初めて魚を捌いたときに思ったこと。僕らは生きるために多くの動物を食べている。日本のスーパーで並ぶのは捌かれた姿であり、自分たちで殺す場面はない。魚が、鶏が、豚が、牛が殺されて肉になる課程を、多くの日本人は知らずに育ってゆく。魚を釣って捌くことを覚えてから、その他の動物を一度は己の手で殺して食べたいと思っていた。
スーパーで切り身として売られるまでに何が起こっているのか。生きるために殺すこと。それを肌感覚で知るのは必要なことのように感じたのだ。多くの人は殺す場面を見ることで、食べ物により感謝するようになるだろう。自らの手で殺すことで、生を想うだろう。そういった根源的な感覚を、死を意識することが少ない現代の世で、忘れ去りたくない。
次は豚や牛などを経験してみたいと僕は思う。感じる方向性は人それぞれのようで、出会った旅人の中にベジタリアンの人がいた。理由を問うと、豚の解体に立ち会ったことがきっかけだと言う。そのときに気分があまり良くなく、食への感謝の気持ちを持つことが難しかった。また、自分で捌くことが出来ないものを食べるべきではないと感じた。そういった経緯で、自分で殺せるものしか食べないことにしたとのこと。
28歳の誕生日は、人生で初めて鶏を捌いた記念日となった。
<カロンガ(Karonga)での写真>
シナルさんの家に泊めてもらった夜だしてもらったワインとつまみ。やばいわ。
僕らは生き物を殺して生きているのだ。目をそらしてはならない。
ウガンダのポジョ、ケニアタンザニアのウガリはマラウィではシマと呼ばれる。トウモロコシから作られるのが多いが、キャッサバから作るシマを食べてみた。
日本の自転車に乗ってやってきていた。防犯登録をちゃんとしています。(日本で撤去された自転車だと思われる)
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