韓国や台湾の兵役の話は「僕の人生の転機」

ザンジバル島行きのフェリーで出会った4人の韓国人。初日にフェリー到着の街ストーンタウンで同じ宿に泊まったところから始まり、2日目はスパイスツアー、3日目はヌングイのビーチ、4・5日目はジャピアーニの宿で一緒に過ごした。彼ら4者ももともとは1人旅で、アフリカを回っている最中に出会っている。僕もそこに混ざったというわけだ。

会話のベースは英語だったけれど、4人のうちホン(男)とソン(女)は日本語が話せるので、彼らとの会話は英語と日本語のごちゃまぜ。南米からアフリカに渡ってきたソンに至ってはスペイン語も少々話せたので、僕との会話では3つの言語が入り乱れていた。パク(男)は日本語が話せないけれど理解は出来るので日本語の会話に英語で入り込んできたりした。ハン(女)が話せるのは英語だけだけれど、むしろそれが普通というものだろう。

彼らはそれぞれが面白い経歴と話を持っていたが、その中でもパクの兵役の話は非常に興味深かった。つい最近までアフガニスタンにいた韓国兵は300人ほどで、彼はその1人だった。(現在まだ滞在しているのか、すでに撤退したのかは分からない)アフガニスタンの実情、実際に戦ったときの詳細な内容、アメリカから表彰されたエピソード、選ばれしソルジャーの訓練や試験、北朝鮮軍と韓国軍の間での伝説の人、仲間が亡くなった話などを聞いた。

兵役の話はかつてのオーストラリア留学を思い起こした。あのとき、僕は17歳で高校2年生だった。ホームステイ先で一緒に住んでいたのは韓国人、台湾人、香港人、タイ人、スウェーデン人。彼らは全員僕より年上で、韓国人のサンカブと台湾人のロビンは当時27歳と26歳。2人は兵役を終えて働いた後に、オーストラリアに英語を学びに来ていた。

留学する前の僕は、兵役について真剣に考えたことがなかった。日本で生活している学生が兵役に想いを馳せることなど滅多にないだろう。勿論知識として戦時に徴兵制があったことは知っていたけれど、それを自分の現実にあてはめる程の想像力はなかった。

留学してルームメイトと夜な夜な語り合う日々の中で話題にあがった兵役の話こそが、人生の転機となった経験のような気がする。選択の余地はなく、否応なしに参加しなければならない兵役。辛く苛酷で、場合によっては人生が終わる。それが自分でなく、友の場合だってある。そういう話をリアルに聞くことが出来て、ようやく僕にも想像力が働いたのだ。

世界では今も戦争が行われている。兵役は多くの国で残っている。日本も数十年前は徴兵されていた。日本がいつ戦争に巻き込まれるか分からない。自分が兵になることだってあり得る。生まれた国に戦争がないことや兵役がないことは運が良かっただけ。

経済的に世界で有数の国に生まれたと考えたことはあった。ただそれは1つの側面にすぎず、日本に生まれた僕が恵まれていることはいっぱいあると気が付いた。そのことを頭で理解するだけでなく心が理解したとき、考え方が変わり、生き方が変わった。そういう意味で、彼らの兵役の話は人生の転機となった経験な気がするのだ。

想像力を働かせることが出来るようになった。日本に生まれたことに感謝する。もっと想像力を働かせる。そもそも世に生まれたことに感謝する。健康に生きていることに感謝する。産んでくれた親に感謝する。育ててくれた親に感謝する。もっともっと想像力を働かせていけば、どんどん感謝することに気付く。家族、友人、健康、時間、平和、自由、、、

身の回りにあるもの全てが当然にあるものではないと気付いたとき、全てがかけがえのないものだと知った。そこに感謝の心が生まれた。まだまだ想像力が働いていないところがある。でもそれを知った今は、1つ1つに気付いていこうと思える。

「大切なものは失ってから分かる」なんて言うけれど、出来うる限りの想像力を働かせてそれを避けたい。本当に大切なものを、大切にしたい。

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ザンジバル島の北部のヌングイに行った。手前の女性から時計回りにソン、パク、ハン、ホンで、もう1人は偶然出会った韓国人。

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ヌングイのビーチはザンジバル1美しいと言われている。

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スキューバも盛んである。やっても良かったなあ。

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シュノーケリングを満喫した。

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