僕が走ってきたモロッコ、モーリタニア、セネガルはフランスの植民地だったので、フランス語が公用語である。モロッコ、モーリタニアはアラビア語も公用語であり、旅をしているときはアラビア語を使うようにしていた。なぜならアラビア語を使ったときの方が好意的に対応してくれることが多かったから。どちらも公用語と言えど、母国語であるアラビア語を使おうとする旅人の態度に好感を持つのは当然のように思う。
ちなみに受けが良いのはアーファックという言葉。「アー」と「ファック」の組み合わせで覚えやすいこの言葉の意味はpleaseである。「ワハド・タジン・アーファック(タジンを1つ下さい)」なんて言うと、思わずといった様相で笑みをもらしてくれる現地人は多い。
モロッコとモーリタニアのアラビア語は異なる。けれど僕が覚えた旅用の数少ない言葉は理解してもらえたので、モロッコと変わらない感じで使っていた。しかしセネガルに入りほとんど通じなくなったので、改めて旅のフランス語のメモを取り出し、フランス語を使い始めた。
言語が変わり、服装も変わった。見かけなくなったサハラウィ(砂漠の民)が来ている藍の衣を身に纏う男性。見かけるようになった肌を露出した服を着ている女性。イスラム圏であることには変わりないが、意識の違いだろうか。
そこで思いだしたのがモロッコのマラケシュに入ったレストランで出会った女性。洋服を着て肌を露出していた彼女に国籍を問うとモロッコだと言う。イスラム教徒ではないのかと尋ねると、そうだと答える。英語が堪能だった彼女の話を詳しく聞くと、どうやらイスラム教徒の女性が着るような肌を露出させない服も持っているし着るとのこと。その日の気分に合わせて服を選ぶそうだ。
イスラム教では肌を露出させてはいけないのかと思っていたけれど、人それぞれの考え方らしい。サウジアラビアなどの厳格なところもあれば、モロッコのように比較的緩いところもある。服装に関しては「宗教的な考え」というより「生活習慣・風習」といった側面の方が強いと言っていた。セネガルで見かけた肌を露出させた服を着ていた女性も、翌日にはイスラム教徒が着る服を着ているのかも。その逆だってあり得る。そこらへんの事情はよく分からない。
モーリタニアからセネガルへ移動して言語が変わり、服装が変わり、そして人々が明るくなった。きっとそれには環境が大きく影響している。国土の大半が砂漠であるモーリタニアからセネガルへ入った途端、目に入る緑が圧倒的に増えて驚いた。緑だけでなく、ありとあらゆる物の量が増えた。環境的に豊かなことは人々を明るくさせるのだと思う。
セネガルに入って最初の街サンルイ(Saint Louis)は国境の街ロッソから100km程南西に走ったところにある。追い風だったおかげで入国初日に着くことが出来た。そのサンルイはセネガル北西部の湾岸都市でセネガル川河口の小島に位置する。1659年にフランスが建設したアフリカ西海岸最古のヨーロッパ人の街で、1902年までフランス領西アフリカ初期の首都だった。世界遺産に登録されているセネガル有数の観光地。
モーリタニアの首都ヌアクショットから宿がある街が100km強毎にあり、これらを繋いできたため3日連続で100km以上漕いだ。主体的に漕いだというよりはやむを得ず漕がされた感じ。国境で精神的に疲れたこともあり、サンルイで3泊して身体を休めた。
放置自転車は撤去しないと。自転車撤去は学生時代にやっていたバイトの1つ。
雰囲気あるよね。
頭に乗せて運ぶのが一般的。
結構流行っている。小学校のときに友達の家でよく遊んだのを思い出した。
新し目のマンション。
この髪型に全くそそられないんだけど、、、
子供が誕生したお祝いにて捧げる牛。
マチェというカレーに近い食べ物。700CFAフラン(110円弱)。
セネガルのクスクス。モロッコより美味しかった。
本物の軍人。日本のサッカー選手を知っていて話が盛り上がった。
ヤギの戯れ。下は動画。
昔の鉄橋の残骸かな。
魚市場の人だかり。
街中の小さなモスク。
宿の近くの安いレストラン。
ヤッサなんちゃらのエビ。ヤッサは玉ねぎの炒め物で、写真のはエビと玉ねぎの炒め物。美味しい。2000CFAフラン(約300円)。
こちらの宿がwifiとホットシャワーと朝食付で6500CFAフラン(約1000円)だったかな?
サンルイからこの橋を渡って本土に戻った。
街を抜けるまで、写真の乗り会いバスと追っかけっこを続けていた。バスの乗降中に僕が抜き去り、バスが走り出すと僕が抜かれるといった具合。首都ダカールに向けて
コメントを残す