この本無くして僕がサハラ砂漠を自転車で縦断しようと思うことはなかった。22歳の上温湯氏による東西7000㎞のサハラ砂漠横断の話。彼のような命を懸けた苛酷な旅をしようと考えたわけではない。読後にサハラ砂漠に興味を覚え、ただただ憧れのようなものを持つようになった。
僕が今回やろうとしているのはサハラ砂漠「縦断」。東西に伸びるサハラを縦に結ぶ道を走る。彼のような道なき道を進むわけではなく、モロッコからモーリタニアを結ぶアスファルトの道をゆく。砂漠の入り口の街グエルミン(Guelmim)からモーリタニアとセネガルの国境の街ロッソ(Rosso)までは約2200km。日本で言うなら青森から鹿児島くらいだろうか。
はっきり言って物好きだと思う。「なんでわざわざ?」と問われたら口籠もってしまいそう。ただ行ってみたい。ひたすらに走ってみたい。サハラ砂漠を縦断したって言いたい。そんだけ。僕の中ではそれで十分だ。
ターバンをぐるぐる巻いて、走り出した。
ラクダ注意!
最低でも100km走れば集落がある。
タジンが専用の器でなくなり、野菜が減った。お茶の砂糖も四角ではなくてごつごつしたものとなった。
キャンピングカーで旅をする欧米人は非常に多い。手を振っている彼女はスイス人。
折角なので写真を取ってもらった。
たま~に川がある。
タンタン(Tantan)の入り口。
タンタンから30km程先の港街。
タンタンの先の港町ではホテルドバイに泊まった。100DH(1000円弱)にしてくれるというので、他にもっと安いところがあったがつい贅沢を。前日キャンプだったしまあいいか。
すごく綺麗だし、ロビーではwifiが繋がる。
洋式トイレにトイレットペーパー付。シャワーにはホースがあるし、勿論湯量たっぷりのホットシャワー。石鹸とタオルが付いていて、居心地最高。
モロッコでは水道水を飲んでいたが、砂漠に入ってから水がより不味くなったので買うことにした。5Lで9DH(90円弱)。隣の瓶の1Lスプライトは6DH。
砂浜を歩くのが気持ちいい。
連泊はせずにどんどん進む。
リゾート開発中のようだった。数年後には街が出来ているのかもしれない。僕は看板の日陰で休憩。
陰に合わせて動きながらお昼ご飯にした。
追い風で走りやすい。
海の方は切り立った崖。美しい。
ちょくちょく小屋があり人が住んでいる。魚を獲って生活しているようだ。
一日100km以上のペースで進んだ。
Sidi Akhfennirという道沿いの街。トラックの運ちゃんの休憩の街なので、規模の割に宿やレストランは多い。
イカの唐揚げを食べた。250gで30DH(300円弱)。美味。
この親父のお店。ノリノリ。
値切って70DH(700円弱)。
ちょーシンプルな部屋。ホットシャワー付、wifiなし。
道脇にはごみが散らかる。
風が強く傾いている看板。目指すは西サハラ最大都市のラーユーン。
強い日差しを浴びながら、ひたすら前へ。
砂丘っぽい様子もたまに見かける。
何もない中で、廃墟を発見。
休むときは日陰がいい。
そこで自炊して、疲れていたらさらに昼寝。
前日の宿で会ったモロッコ人と道中で再会。
この看板何だろう。マリオを思い出す。
タルファーヤ(Tarfaya)の街。
先進的なレストラン兼ホテル。
wifiが飛んでいた。ジュースを飲みながらネット。
端から端まで歩いても4kmもない小さな街。
新旧の建物が立ち並ぶ。
国旗を掲げていると宗教っぽい感じがするのって、日本の特徴な気がする。多くの国では母国の国旗が大好き。
日中は出歩かずに宿で待機。屋上で洗濯物を干しながら、ぼけーと空を眺めているとき。
屋上からの景色。
夕方に街を散歩。
人々は地に足を付けて生活している。
旅という移動生活をしている今はとても楽しいけれど、人生のどこかでは定住したい気がした。
ちょっと疲れていたのでTarfayaでは2泊した。
丸一日休むと元気。朝日が昇る前に出発した。
目指すラーユーンとの間にあるDaouraに寄ってみた。レストランがない小さな街だったが門構えはしっかりしている。
強烈な日差しから身を守るといわれる藍で染めた衣服を着るのがサハラの民。その藍が顔につき青くなることからブルーマンと呼ばれるらしい。
レストランが見つからなかったのでバナナとチーズで凌ぐ。
キャンピングという看板があるけれど、見えるのは地平線。
向かうは太陽の方向である南。西サハラ最大都市のラーユーンは目前だ。
たかさん。こんにちは。こんばんは。帰って来た浦島太郎と申します。どうぞ宜しく。世界一周旅の経験者です。
私も旅、自転車、サハラ砂漠が大好きです。サハラの自転車旅の旅行記がないかと探したところ何件かヒットしました。
その中に、“ 上温湯隆 ” の文字が目に留まりました。私も彼の本、『サハラに死す』を読んだ事があるからです。それどころか、たかさん同様に影響を受けて、彼と同じ辺りをラクダで旅をしました。彼よりツイテいたのと、彼より注意深かった ( 亡くなった方を悪く言うのではありませんよ。) のもあり、サハラに死すとはならずに ( 有名にもならなかった ) 、そのまま旅を続けました。
ラクダはサハラ砂漠縦断でしたが、それ以外に横断を同じ旅の中で二回しました。一回は地元のトラックによるヒッチハイクでした。
もう一回は、フランスのパリでクルマを購入してスイス、イタリアを経てアルジェリアを抜けニジェールのアガデスと言う街の手前まで、手前と言う意味は、そこで自動車が壊れてしまいやもなく廃棄したからです。稼ぎ損ねましたよ。アルジェリアのタマンラセットと言う街からニジェールのアガデス迄は約400kmあり、その間は街も村も無く、所々深い砂に覆われた道なき道が続きます。余りの過酷さ ( 人間にもクルマにとっても ) 故に百数十台 ( 当時で ) ものクルマが故障や事故により廃棄されそのまま放置されています。
たかさんは本当に素晴らしい旅をされたと思います。決してケチを付けるのではなく、願わくば、済んだ事を今更言っても仕方ないけど、同じ縦断でもいわゆる砂漠らしい砂漠、言い換えれば砂漠の中の砂漠を渡ってもらいたかったです。舗装路と地道、ましてや砂道では大いに違いますよ。無理をしないのは理解出来ます。
「なんでわざわざ」のくだりは気に入りましたよ。大いに賛同します。再会したモロッコ人と写っている写真、お二人とも実にいいお顔してますね。優しそうな雰囲気が感じ取れますよ。フランス語は出来たのかな?
現地で二人の日本人サイクリストに出会いました。横尾さんともう一人は自転車仲間では少し知られているJACC会員の石松くんこと、国松照男さん ( 享年25 才。トルコでトラックにはねられた。) の対照的な ( 興味深い所なのだが、長くなるので説明は省きます。) 二人です。試しに、彼の自転車旅を借り走ってみたけど、とても走れたものではなかったです。かなりの部分を押して行くのがオチ。4WDの車でさえ埋まる事があるので無理もない。蛇足ですが、石松くんとは世界一周中に期せずして、中米と南米でも出会いました。将来、ブラジルで養蜂農家をやりたいと言っていたのが印象的だった。実に残念。合掌。 あと後半ですが、同じ位あるのでここで一旦辞めて、後ほど再度コメントしたく思います。
検索からブログを読んでいただき、コメントありがとうございます。
めちゃめちゃ長文で驚きました笑
おかえりなさい。
もう10年くらい前の話になるので、久しぶりに自分の記事を読み返して懐かしくなりました。
舗装路と砂道ではまったく違う旅になるでしょう。
当時の僕に砂道を行く気持ちはなかったです。
フランス語はできませんでしたし。
それでも満足度は高かったですね。「サハラ砂漠」というものにロマンを感じていました。
ラクダで旅したのはいいですね~!
注意深かったためだと思いますが、無事に戻られてなによりです^^
たかさん。裏コメ後半を続けて書かせて頂きます。
私の事ばかりを一方的に話す様な形になり恐縮です。
私の自転車旅はアメリカ大陸を東から西への横断。その後、西海岸に沿ってメキシコ国境まで走り、国境を超えてカリフォルニア半島の先端まで走りました。他には、ニューカレドニア島一周。オーストラリア 1 / 4 周です ( 全て同じ旅中 ) 。当時はアデレードからアリススプリングスを経由し有名なウルル ( エアーズロック ) に続くハイウェイも幸運なことに未舗装で、時に見渡す限りの砂の海が続いていました。砂漠はこうでなくちゃ。本物の海が見える砂漠などなんか感じが出ないなー。
たかさんのご趣味の中にカヌーがありますね。私は日頃はカヌーに接する様な環境にはないのですが、ブラジルでアマゾン河の支流を一ヶ月程カヌーで下りました。河畔のカピバラや中洲で日向ぼっこをするワニ、河をゆっくりと泳ぐ河イルカなどが見れたり、インディアンの部族を訪ねたりと変化に富んだいい旅でした。
登山のご趣味もありましたね。私はピッケルやザイルを使う様な本格的な登山はしません。自然や山が大好きでハイキングやトレッキングに毛の生えた程度の山歩きはよくしました。ケニア、ウガンダ国境にある高さ4,200 mのエルゴン山 ( 頂上付近で槍を持った人達と出会いました。) 、ケニア山の4,000 m 地点まで ( それ以上は本格的な登山の装備が必要 ) 途中でライオンに出くわす可能性があるスリリングな登山です。他に、グアテマラでの活火山登山。スイス、パキスタンのフンザとネパールでのトレッキングなどをしましたよ。
たかさんのご趣味で意外だったのが、狩猟。
生活するため必要な狩か、単なる遊びかは分かりませんが、私も射撃が好きです。アメリカ西部の牧場で働いていた時に、私専用のライフルを与えられ、ほぼ毎日の様に撃っていましたね。色んな口径のライフルやハンドガンも撃ちました。但し、私は、例え、虫 ( ハエ、蚊やゴキブリ等はやむなし。ゴメン。) であれ、命を奪うのは、そんな権利もないし、イヤなのです。私の獲物はもっぱら空き瓶や空き缶でした。一度、コヨーテ撃ち
( コヨーテが農作物を食べに来るので、) に同行しましたが、私にとっては余り気持ちのいいものではなかったですね。
自慢話ではありませんが、私の事ばかりを話すのもいけないので、この辺りにしておきますね。
今度は是非、たかさんのお話を聞かせて頂きたいですね。たかさんが夢を大幅に前倒しし実現させたのは、全く正解だと思うし、憧れの?定住も出来た事だし素晴らしいと感じました。今後とも応援させて下さい。
コロナ禍の中どうなっているのかは分かりませんが、タカハウスに大いに興味があります。日程未定で今すぐ、家族四人分の仮予約をしたい位です。いつかお邪魔したいものですね。
思い付くまま書いていたら、ついつい長くなってしまいました。最後までお付き合い頂き誠にありがとう。
メキシコのバハ・カリフォルニア半島ルートは僕も一緒です。
JACCのいそだよしゆきとでぼりよしかつと共に走りました。
良い旅、良い場所だったなあ。
カヌーも登山もやられるんですね。
僕はカヌーは未だに続けていますが、登山は田舎暮らししてからはやっていません。
去年、今年と四国の吉野川に行っています。
狩猟は食への興味からはじめました。
口にしているものがどういった過程を経ているか興味あるんですよ。
哺乳類の解体はやったことがなかったので新鮮でした。
いろいろ話が盛り上がりそうですね。
タカハウスでお待ちしております^^
たかさん。浦島太郎です。
私の前回のコメントの承認待ちの間に前回のコメントへ少し補足したく思います。
私がアメリカ西部の牧場で働いたのはお金のためと言うより ( 最初はお金は要らないからと伝えた。) 、馬について色々な経験を積み学びたかったからです。馬の乗り方はむろんですが、扱い方や手入れの仕方などです。それまでは馬に触った事すらありませんでした。その理由は中米を馬で旅したかったのです。トラクターの運転や干し草造りなどの農作業のかたわら、本場で本物のカウボーイから直々に教えてもらいました。乗馬以外にも、前回に書いた射撃や投げ縄、ロディオ等も教わりそれはそれは楽しい時間を過ごしましたよ。その時にしなかったら、一生する機会など無いでしょうね。同時に、一生の友達も出来ました。
その後、実際にベリーセで馬を購入し、赤毛だったのでコロラドと名づけました。グアテマラとの国境を馬で越え暫く馬の旅を続けましたよ。自分の都合で走れる自転車に比べれば、全て馬の都合に合わせねばならず困難な旅でしたね。野宿で寝ている間に盗まれる可能性もあるし。
サハラでのラクダ旅は楽だ ( ラクダ ) とは行かず、更に難しかったが、その時は知るすべも無かった。私もラクダに逃げられた!朝起きたらいない!どこを見ても見当たらない!それに付いては上温湯隆さんの旅と合わせて、別途コメントをしたく思っています。
馬!!!
馬旅は珍しいですね!!!
すごいです。
長文の文字でのやり取りは苦手なので短い返信となりますが、お会いしたときに話ができるのを楽しみにしています!
たかさん。浦島太郎です。
私のコメントに対するお返事をありがとう。楽しく読ませて頂きました。
ラクダ旅は注意深かったのは確かですが、一番大きな点はツキがあったと言う事です。それが上温湯隆さんと私を分けたのだと思うのです。私の様な旅では、サハラに限らず、ツキや悪運、強運は必須でした。
上温湯隆さんもそれらがあったが、ついにそれが尽きたと言う事ですね。彼の本によれば、それ迄何度も食料や水が尽きかけたり、無くなったりしたがその都度ツキのため生き延びた様ですね。いつまでも続くものではありません。その辺が彼は分かってなかったのだと思うのです。加えて、準備不足。それを注意深さがなかったのではと思いますよ。私は注意深くしたし、無茶はし過ぎなかったと言うことです。無茶や無謀は結果オーライで何もなければO.K. ですが、あるかないかは、残念ながらやった後にならないと分からないので厄介ですね。私は冒険家でも探検家でもないので記録にも興味はありません。彼はそれにこだわり過ぎ計画や行動に柔軟性がなかったのもああなった一因と思います。冒険家、探検家の嵯峨と言うものでしょうか。サハラ砂漠は本当にロマンがありますね。こうしてサハラと書くだけでサハラのエネルギーを感じ血潮が湧き上がりますよ。
バハいいですね。私は同じ旅の中で都合、三度行きました。一度は自転車でラパス経由でメキシコ本土を少し走りました。メキシコシティまで行く予定でしたが、当時は道路事情やドライバーの運転マナーの悪さのため途中で断念しました。何度かこっちが路肩に飛び出してなければ、何度か轢き殺されかけとても旅を楽しめたものではありませんでした。もう一度はバスで同じくラパスまで。別のもう一回はロスアンゼルスからオートバイで先端のカーボサンルーカスまで行きました。フェリーで本土に渡り、同じくメキシコシティの手前でオートバイを売っぱらいオートバイの旅を終えました。まだまだ話したいのは山々ですが、長くなるので今回はこの辺で。あと珍しい移動手段ではヒッチハイクや歩きでは珍しさの度合いが足らないと思いますので、ローラースケートでスコットランドを一周したのを付け加えておきましょうか。
出来るだけ短くした積りですが、また長くなってしまいましたね。最後までお付き合い頂きありがとう。
いつかタカハウスへ行ければいいですね。
たかさん。早速のお返事ありがとう。
私からのコメントもここら辺でいいかなと考え、これを最後にしたく思います。苦手でご面倒なら、
お返事はなしでも構いませんよ。
珍しい移動手段は予定では後二つありました。
一つは、冬に北部カナダとアラスカでのスノーモビルの旅でした。実現に向け色々と検討した結果
辞めました。一つの街の中の移動や近くの村や町まで行くなら問題はないが、旅行での長距離の移動を
考えると余り実用的でないし現実的に見ても困難との結論に達しました。調べてはないが、スノーモビルは
中古でも予算的に難しいでしょう。
もう一つは、最後に日本に帰る時です。アメリカのロスアンゼルスからハワイ経由で日本のルートでした。
ロスアンゼルスにある世界最大規模のヨットハーバーでハワイ若しくは日本へ行くヨットをニ 〜 三週間に
渡り探しました。掲示板を見たり、当方の希望を書いて貼ったりしましたが、残念ながら見つける事は出来ませんでした。仕方なくハワイまで飛び、再度、日本行きのヨットを探したけれど、見つかりませんでした。
流石に値段から見てヨットを買う訳にもいかないし。第一、日帰りの小クルーズ程度で本格的な経験がない
のでは無謀すぎる。仮にヨットを買って日本へ行けたとしても、帰った途端に無免許で逮捕される。
大陸のど真ん中で色々考えた。砂の海のど真ん中でもインスピレーションを受け色々感じ考えた。アマゾンの
ジャングルでもエネルギーを感じ様々なことを考えさせられた。コンクリートジャングルのど真ん中でも同じだった。後は、人は大海原のど真ん中では一体何を想い、何を感じるかに興味があったのです。( 宇宙でもトライしたいが、それはさすがに無理でしょうね。人と動物が好きなので、宇宙を旅したいとは思わないけど。)
そんな想いは旅の初期の頃にはなかった。長い旅を通して得た一つの旅行哲学ですね。変わった体験したいのなら、変わった事を考えたり、感じたかったら、変わった方法で旅をする事だ。それしかない。逆に言えば、普通でない方法で旅すれば、普通でない経験をし、それを通し普通では思わな事を思う。普通では感じられない事を感じる。その様な思いで、徐々に色んな方法で旅をする様になったのです。
また、言うまでもなく、各交通手段には必ず、それぞれの良い点と悪い点があります。つまり、旅の全行程を一つだけの方法で旅をすると、いつまでも、どこ迄もその良さ ( 良さはいいとして、) も悪さもついて周ると言うことになります。当たり前の事です。
例えば、私も大好きな自転車は殆ど欠点らしい欠点は無いけれど ( 登り坂がしんどいとか、雨や向かい風が辛いと言う人は論外。それらは悪い点ではなくむしろ良い点かも。) 、それでも自転車上で吹く風と馬上で吹く風は違うのです。カヌーはカヌーでまた違うのです。ヒッチハイクにはヒッチハイクでしか思い付かない事や考えられない事があると思います。それぞれで出会う人も違いますよ。
分かりますか?それが私がいくら自転車が好きだからと言え、自転車だけで ( 一つの手段だけで、) 、旅をしない理由ですね。確かに、自転車だけで世界一周をしている人も様々な経験をし、多くのものを見るでしょう。
ただ同時に、多くの事を経験せず、出来ずに色々なものを見逃しているのも事実ですよ。本人達は気が付いていないか、承知の上なのでしょうか。もちろん、それはあくまでも私の考えです。人それぞれです。他人があれこれ言ったり、こうした方がいいとか言う事柄でもありません。
今回も書いているうちに熱が入り過ぎてついつい長くなってしまいました。お許しを。
記録や冒険家、探検家に付いて書きたかったのですが、長くなり過ぎるので辞めておきますね。
ただ、記録とは?記録の意味?誰の、何のために記録を作る?記録を作らなかったら、作れなかったらその後の人生にどんな影響があるのか、ないのか・・・等々
エベレストに初登頂をした世界的にも有名なヒラリー ( 初めて登った。) とシェルパのテンジン ( 六回登ったが失敗。七度目で成功。) 。上温湯隆さんと砂漠のトアレグ族のベドウィンのどちらが偉いか?どちらがより凄いか一度考えて見て下さい。山に登ったり、砂漠を渡る理由と目的が両者では根本的に全然違う。何を言いたいか分かって頂けます? ( 分からなければ、聞いて下さっても構いませんよ。) 私は冒険家でも探検家でもありません。またそう呼ばれたくもありません。
最後まで読んでくれてありがとう。いつかタカハウスで旅の話をじっくりとしましょうね。私ばかり話す感じなので、もっともっとたかさんの旅の話をお聞きしたいですよ。
熱の入ったコメントありがとうございます。
人生の時間は限られており、あらゆる手段であらゆる場所を体験することはできません。
また、違う時間の使い方もあります。
どんな生き方をしても見逃すものがでてきてしまう以上、各人が好きに生きたら良いと思います。
浦島太郎さんはその点において満足感がひしひしと伝わってきます。
良い旅をされたのだと感じました。
また、その旅が一般的な方の旅とも違うので、興味深いです。
僕も好きに生きていこうと改めて思いました。
幸い、楽しく生きることができているので、好奇心に蓋をしないように歩んでいきます。
どこかで交われることを楽しみにしていますね。
記録にこだわるとリスクがあがりますよね。
それは同世代の自転車乗りを見ていても感じることでした。
また、無茶や無謀はやった後にしか分かりませんというのも共感します。
うまくいってしまった場合、やった後にでもわからないケースもありますよね。
どこにリスクの線引きをするかは難しいと常々思います。
ローラースケートとはこれまた斬新!
面白いことをされていますねえ。
たかさん。浦島太郎です。
お返事ありがとう。
たかさんは今も好きに生きている様ですが、これからもずっとそうして下さい。それが一番たかさんらしい。
そう。好奇心に蓋をしないですよ。例え、旅人でなくとも大事な事ですね。私もまだまだ好奇心全開ですよ。
では、今回はこの辺で失礼します。これに対するお返事はお気遣い無く。アスタルエゴ!ノスベモス!
たかさん。浦島太郎です。
私の投稿を読み返して見て間違い、思い違いがああったので訂正をさせて頂きたく思います。
6月頃には19日の初回投稿分 :
縦断と横断が逆で入れ替わっていました。前後の文脈から間違いと分かるでしょうが、縦断と横断では
大違いで重要なので訂正を致します。
同、二回目投稿分 :
アルジェリアのタマンラセットからニジェールのアガデス迄は400kmではなく900kmです。
私が書いた400kmと言うのは900kmの内の村も部落も全く何もない区間の距離です。そこがクルマの墓場。
これは訂正と言うより補足 :
たかさんのお返事にカヌーが私の趣味の様に書かれていましたが ( たかさんに何の落ち度もありませんよ。) 、カヌーは趣味ではないと言うより、あの時にアマゾンでしたのが最初で最後です。それ以前は ( それ以降も)カヌーに触れた事もそんな機会も環境にもありませんでした。
全く経験が無しで始めたのは、馬もラクダもヒッチハイクも同様で人生で一度だけです。今後も機会はないでしょうね。それらを日常的に出来る所など近くにはありません。唯一、ローラースケートだけは日本でも休みの日に近くの海岸沿いの道を滑って楽しんでいましたよ。自転車は夏休みなどに 1 泊 〜 10 泊程度の小旅行は何度も行っていました。オートバイも乗っていました。自動車もありましたが、使用率は 7 : 1 : 2 と言ったところでした。やっぱり自転車が一番ですね!
エルゴン山 :
私が登ったケニアとウガンダの国境にあるエルゴン山の高さは4,200 m ではなく正しくは 4,321 m です。
大した差ではないですが、山の正式なところ標高なのできっちりとしておきたく思います。
ネパールでヒマラヤのトレッキングをした時に越えた峠の高さと同じくらいです。但し、頂上と単なる峠ではその差は歴然ですね。既に4,300 m もの峠でさえ、雪でキラキラ光る周りの山々の頂きはまだまだ上で、ここまでおいでと招いている様でした。
以上。訂正並びに補足をさせて頂きました。では、いつかまたね。チヤオ!