セルビア人が名古屋を知る理由とストイコビッチの現役時代の動画

「どこから来たんだ?」
「日本だよ。」
「Nagoyaか?」

衝撃だった。日本のどこから来たというときに、名古屋、が一番始めに来ることは今まで一度もなかったから。だいたいは東京で、たまに大阪、最近だと福島(、、、じゃないよなまさか、というニュアンスで)くらいである。僕の出身は愛知県の田舎で名古屋市ではないけれど、名古屋と聞かれれば地元を見事に当てられた想いだった。それにしてもなぜ?

名古屋に行ったことがあったり名古屋に知り合いがいるとかかなと思い、尋ねた。すると、

「ドラガン・ストイコビッチ!ピクシー!」

という回答が。おお、そうかあ。合点!

彼は名古屋グランパスエイトの監督を現在やっており、以前には選手としても名古屋にいた。僕の憧れの選手である。生でプレーを見て感動し、日本に来る前の彼の試合のビデオを借りてきて何本も見た。もらったサインを飾っておいたら、猫に爪をとがれてぼろぼろになってしまったのはいい思い出。

彼の技術の高さを証明する動画を紹介する。もう引退して監督になった後のJリーグでのもの。衝撃的映像である。

彼の現役時代のドリブル動画。

僕は彼のことをユーゴスラビア人と認識していた。彼が最も輝いていた時代にユーゴ内戦があり、ユーゴスラビアがW杯に出場出来なかったことが僕の頭に残っているからだ。だからセルビアとストイコビッチの関係性は頭になく、セルビア人の口から名古屋という言葉が出たときもピンとこなかった。だがサッカー好きなセルビア人にとって、日本とはストイコビッチが行った国であり、彼が住んでいる名古屋なのだ。選手としてのストイコビッチに魅了され、監督としての彼の能力に驚き、セルビアで日本のイメージとなっている彼の影響力に夢をもらった。ありがとう、ピクシー。

19 20 18

この子たちもピクシーの名を知っていた。

誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡 (集英社文庫)
木村 元彦
集英社
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ユーゴ内戦に興味をもつことになった本。







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管理人のたかです。1984年4月20日生まれ。不動産会社での開発業、自転車世界一周、地域おこし協力隊を経て、愛知県新城市の古民家で宿泊事業をはじめました。SNSでフォローしていただくと最新記事を読むことができます。よろしくお願いします。