2010年の5月に南米のチリから戻って、7月にユーコン川下りの旅に出るまで2ヶ月ちょい日本にいた。その間の1ヶ月ほどをわけあって長野で過ごした。長野県の辺鄙なところまでぐるぐる回り、土地勘が鍛えられたとともに車の運転もうまくなった。運転席から見える景色はみずみずしい緑に溢れていて、山々の稜線が僕の心に訴えかけてくる。もう我慢が出来なかった。
長野北部の白馬に比較的近い山、鹿島槍ヶ岳を登ったのは7月18日~19日。梅雨は開けたばかりで、青が突き抜けるような晴天であった。共に歩いたのは大学時代の友人ら5人。皆でいるときのまったりした空気はいつ会っても変わらず、慣れた居心地の良さと飽きることない共に過ごす時間はかけがえのないもので、大切にしたいと改めて感じさせられた。
事の発端は大学時代のアウトドア仲間のナカエの働く場所が決まり、大阪にいる彼のもとへ顔を出しに行く連絡をしたことからだった。話しているうちに大阪じゃなくて山に行かね?ってことになり、長野滞在で山への飢えを触発されていた僕は2つ返事でok。そんなところから始まった。
ナカエと僕ははレンタカーを借りて長野へ向かう。他の3人は東京近郊から各々が集い現地集合。18日の早朝に全員が揃い、久し振りの登山。朝は雲ひとつなく、地平線に近いところから頭の上に向かって青が濃くなっていく空だった。梅雨明け後の太陽はひときわ頑張って地上を照らしているように思った。
歩き始めると思ったよりしんどい。が、これはいつものことで、歩き続けているとだんだん慣れる。途中雪渓も多少残っていて、滑らないように気を付けて進む。途中の山小屋でお昼ごはんの焼きそばと焼きそばパンを作り、爺ヶ岳頂上を経由して本日のテント場所へ。16時くらいであった。運んだビールで乾杯をし、夜ご飯。18時半頃には雲海の中に沈んでいく夕日を見てうっとりした。
日が暮れて少々だべった後に、明朝に御来光を見るため早めの就寝。すぐに寝入ってしまった。目覚ましを誰もかけていないという状態だったが、4時前には起きた。鹿島槍ヶ岳に向かう途中で日の出を迎え、足を止めて見入る。何度見ても感動してしまう御来光。もう日も上がってきて優しい日差しが終わろうとするころに、鹿島槍ヶ岳の頂上に着き、大学の応援歌である紺碧の空を歌った。
そこからテン場に戻り、下山の路を辿る。始めは歌を歌いながら陽気に歩くも、中盤から後半は皆疲れ、黙々と足を進めていた。ふと、数年前に比べて若い人や女性が増えたかな、なんて思った。マスコミが煽っている登山女子の影響だろうか。入っていた大学のアウトドアサークルでも女子が男子より多いって話だし、生まれてくるのがちょっと早過ぎたかもしれない、、、
下山後は温泉に行き、身体を清め、心も癒される。裕福な時間。イイジマとチバちゃんが帰り、マリちゃんと僕はナカエの住む大阪までノリで行くことに。こういう予想外のイベントがたまらない。次の日に京都、滋賀をドライブする中、長野に行ったのによもや関西方面にいる不思議さに面白みを感じる。その夜、酔っ払っいふらふらと終電の鈍行を乗り継ぎ帰宅した。我ながらよく帰れたと思う。
海外を旅していると、逆に日本の良さを知ることがある。日本の山もその一つ。狭い国土のなかに様々な山々が並び、四季があることで季節による山の味わいがある。一度森林限界を超えてしまえば、360度パノラマの尾根を歩き続けることが出来る。山脈の峰を散歩するのは本当に気持ち良い。日本の山はいい。海外を放浪している中で登り、再認識した。
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