卒論を書く学生からギャップイヤーについてインタビューを受け、体験談執筆したのに音沙汰がない件

どーも。学生には優しくしたい会代表の自然人タカ(@viatortaka)です。

2015年の5月にブログを通じてメッセージが来た。

初めまして。
突然すみません。
私、○○大学○○部5年の○○と申します。
ギャップイヤーを研究題目として卒業研究を進めています。
そこで、世界一周をした人を探していたところこちらのブログとツイッターを見つけまして、もしよろしければ卒業研究に協力していただけないかと思い、ご連絡させていただきました。
ギャップイヤーという概念を日本でもっと認知してもらえるように、また空白の期間がもっと個人の色として評価されるようになればとの思いで様々な海外経験をした方に自身の気持ちの変化や経験した困難や素敵な出会いなどをもとにした体験談の執筆を依頼、その後インタビューを行い、それらをまとめて本を作る予定で、現在文献研究やアンケート作成を行っております。
そこで、もしよろしければ、自転車での世界一周の体験談およびそれに関するインタビューにご協力いただけませんか?

卒業研究のテーマをギャップイヤーにして、僕に辿りついたメールを送ったというのも一つの縁だろう。悩める大学生の勇気ある行動だと感じたし、僕も学生時代にいろいろな方にお世話になったので協力することにした。数時間に及ぶ電話インタビューを受け、ギャップイヤー体験談も書いた。対価はもらっていない。

“できあがったら送りますね”という言葉を最後に連絡がつかなくなった。

しばらく(1年ほど)待ったし、1ヶ月ほど前からメールを送ったけど音沙汰なし。本当は「ギャップイヤーの卒論に協力したよ!!」といったタイトルでブログ記事を書きたかったので待っていた。しかし叶わなさそうなので寄稿した文章を紹介したい。

ギャップイヤーで高校留学と自転車世界一周旅行、人生のレールを乗り換えるメリットデメリット

ギャップイヤーとは価値のあるものなのだろうか?私の人生においては明確にイエスと答えることができる。人生をレール上を歩くことに例えるならば、ギャップイヤーによって今まで考えもしなかったレールに乗り換えることとなり、想像もし得なかった場所へ到達したからである。そこはわくわくで彩られている。私の周りのギャップイヤー経験者は似たような想いを持っている人が多い。

私の人生では二度のギャップイヤーがあった。一度目は高校生のときのオーストラリア留学。二度目は社会人経験を経たあとの自転車世界一周である。

16歳のときにオーストラリアの南に位置するメルボルンに1年間留学し、現地の高校に通った。1つの転機となった問いがあり、それは人生を変えた。

「タカは大学に行くの?何を学びたいの?」

日本で進学校に通っていた私は、当然のように大学へ行くものだと思っていた。親も周りの友人も大学へ行くことが当たり前のような感じだったからだ。しかし改めて問われると、学業が好きとは言えない私が大学で何を学びたいのだろうか。学びたいことがないのであれば、働く選択肢を真剣に検討したほうが良いのではないか。

最終的にはオーストラリアで選択したビジネスという授業が面白く、それを大学でも学びたいと経済や経営の学部を受験することにした。数学や物理が好きで得意だった私は理系の学部に進むものだと思っていたが、学びたい学問を見つけたので文転して経済学部を目指すことにした。そして大学生活では本を書いたり会社を立ち上げたりとビジネスに関わるような活動をしていくこととなる。私のオーストラリア留学というギャップイヤーにおいて間違いなく人生のレールを乗り換えたのだ。

オーストラリア留学でもう1つの転機となった出来事がある。私のホームステイ先には私を含めて6人の留学生がいた。みな年上で、年齢は20歳から28歳の5人だった。スウェーデン人、タイ人、台湾人、香港人、韓国人。夜な夜な話をしている中で兵役の話となった。台湾と韓国では男子全員に兵役があり、タイではくじ引きで兵役があるという。たどたどしい英語での会話だったが、兵役の最中に友人が死ぬという生々しい話を聞き、「死」というものに触れた。

幸か不幸かそれまでの人生で死を考えさせられる機会はなかった。人はいつ死ぬか分からないということを意識し始めた瞬間だった。それによって生き方がすぐに変わったわけではなかったが、数年の年月を経て、死の意識が身体の隅々まで巡り、行動に昇華されるようになった。いつ死んでも悔いのないように生きる。そのように生きられるようになったとき、人生は変わった。正確には段々と変わっていったのだが、そのきっかけはギャップイヤーのオーストラリアで留学であった。

その意識の変化の結果が二回目のギャップイヤーに繋がる。大学を卒業し不動産会社で働いていた私は、充実した社会人生活を送っていた。定年後には自転車世界一周と田舎暮らしをしたいと考えていた。しかしふと思う。65歳から自転車世界一周は自分が持っているイメージと違うものではないかと。

20歳に自転車で日本一周をしてからの夢が自転車世界一周であった。そのイメージは未知の中での挑戦的な旅であり、65歳の自分の姿はそこになかった。いろいろと思い悩み、相談し、結局は会社を辞めて飛び立つことにした。それはいつ死んでも悔いのないように生きるという、一度目のギャップイヤーでの学びが影響を与えている。

世界一周旅で得たものは様々であるが、この場では旅をして知ったギャップイヤーの話をしたい。海外では多くのギャップイヤー経験者と出会う。日本人や欧米人などの場合には人生の中にギャップイヤーを取ることを自ら選ぶが、社会に組み込まれている国がイスラエルである。イスラエルでは兵役を終えたあとの約一年をギャップイヤーとして過ごし、そのあとに就職など自分の人生を歩みはじめる。視野や見聞を広めるための期間を社会として設けているのだ。それはギャップイヤーに価値があると国が認めていることに他ならない。

昔と比べて平均寿命が延びた。長い人生のなかでギャップイヤーを持つことは有益である。それによって、よりよい人生を歩むことができるだろう。ギャップイヤーを持つ人が増えて生き方に多様性がうまれることで、よりギャップイヤーというものの価値が分かる人が増えてそれに対する寛容さが生まれるに違いない。1人でもギャップイヤーについての理解を持つ人が増えることを願う。

最後に私の今をお伝えして終える。自転車世界一周を終えた私は定年後のもう1つの夢である田舎暮らしを35年前倒しで始めた。想像以上に刺激的な日々を送っている。自転車世界一周のときからブログ(https://takahirosuzuki.com/)を書いているので、良かったら見てほしい。それではまたブログでお会いしましょう。







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ABOUTこの記事をかいた人

管理人のたかです。1984年4月20日生まれ。不動産会社での開発業、自転車世界一周、地域おこし協力隊を経て、愛知県新城市の古民家で宿泊事業をはじめました。SNSでフォローしていただくと最新記事を読むことができます。よろしくお願いします。