ACミランで10番を背負う本田圭佑の移籍後初ゴール動画と本田がかつてガンバユースに上がれなかった理由

ACミランで10番を背負う本田圭佑の移籍後初ゴール

2戦目にして本田初ゴール!!!!さすが、もっている男は違う!

イタリア杯5回戦のスペツィア戦で公式戦初スタメン。後半2分にGKのこぼれ球に走り込んで強烈な左足シュートを決めてイタリア初ゴールだよ。得点シーン動画を見るべし!

本田がかつてガンバユースに上がれなかった理由

Yahooニュースで面白い記事がUPされている。

「『見る眼がない』と散々に言われた」。当時の育成担当者語る、本田圭佑がガンバユースに上がれなかった理由

中学時代の本田について上野山は「よくしゃべり、周りの雰囲気を明るくし、サッカーがとことん好きで、ボール扱いもなかなかの選手だった」という印象を抱いている。

「みんなから『圭佑、圭佑』と慕われていたけど、良い意味で、ちゃかされてもいましたよ。テクニックはあるのに、試合では力を発揮できんかったからね」

 パスもドリブルも標準以上で、ミニゲームではテクニックを発揮した。ところが、フルコートでの試合になると、途端にボールに絡めなくなってしまう。その要因は「走れない」ことにあった。

「パスを出しても動かない。パス&ゴーの基本ができんのです。原因は、体力面や持久力にあって、すぐバテてしまうし、走るのも遅かった。その点でほかの選手よりも明らかに劣っていて、それが最後まで改善されなかった。

高校時代の本田について上野山の記憶に強く残っているのは、石川県選抜の一員として埼玉国体に出場していた、当時3年生の本田の姿である。

「すごくデカなっていて、驚きました。ガンバにいた頃は、ヒョロッとして華奢やったから、アカデミーの指導者たちと、『圭佑、あんなデカなってるで。信じられへんな』という話をしたんです。

 持久力やスタミナも付いていたかもしれないけど、走らないプレースタイルは相変わらずで、指示ばかり出していたね(笑)。『もうちょっと走ったほうがプロのスカウトの目に留まるのになぁ』と思ったのは覚えてますわ。

「僕も摂津の人間ですが、摂津で昔の圭佑を知る人間は誰もが『あの圭佑が、まさかここまでの選手になるとはねぇ』と驚いてますよ」と微笑む上野山は、「ここまでの選手」になれた要因として、目標を設定し、それに向けて何をすべきかを考える力と、強いメンタリティの2点を挙げた。

「ガンバにいた頃、持久力やスタミナで見劣りしたけど、サッカーがとことん好きで、相当な負けず嫌いで、夢や目標をしっかり抱いていたのも確かです。それは圭佑と会話をしたときに感じましたよね。ユースに昇格できなかったときも、次のステージを考えて、すぐに、『星稜に行きたい』と言ってきましたからね」

 目標を設定し、それに向けて努力するのは、成功する選手の共通点だと上野山は言う。

「例えば、宮本はどんどん質問しに来るタイプで、稲本は反復練習を黙々とするタイプ。パーソナリティはまったく違うんやけど、目標を設定し、それに向けて努力し、反省するという点では共通している。

記事に対する林信長さんのツイート

林信長さんのつぶやきからこの記事を知ったのだけれど、的確なコメント。

日本人がACミランやインテルで活躍する時代を誰が想像しただろうか

小学生と中学生のときに僕はサッカーをやっていた。当時は中田や中村を含むミッドフィールダーの全盛期。日本人からサイドバックやフォワードに優れた選手は生まれないだろうと言われていた。

あれから10年ちょいでの日本人選手の海外での活躍っぷりに驚くばかりである。特に本田のACミラン10番は当時を思うと信じられない。夢のようだ。

そのニュースを聞いたときに興奮し、ACミランの歴代の10番選手のプレイ動画を集めたほど。

先日のデビュー戦の本田のプレイも良かったし、これからの本田とW杯が楽しみでならない。

ACミラン背番号10番:本田のユニフォーム

バカ売れしているらしいよ!!!







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管理人のたかです。1984年4月20日生まれ。不動産会社での開発業、自転車世界一周、地域おこし協力隊を経て、愛知県新城市の古民家で宿泊事業をはじめました。SNSでフォローしていただくと最新記事を読むことができます。よろしくお願いします。