優しきトルコ人に泊めてもらう

トルコがヨーロッパなのかという問題はさておいて、トルコから始まったヨーロッパチャリは想像以上に快適で喜びに満ち溢れていた。まず、気温がちょうどいい。日中走っているときはTシャツ一枚で夜間にはフリースを着込むくらい。汗をかくことなく寒くないというのはベストに近い。

道の舗装状況は良く、車通りは多くない。アップダウンの少ない平坦な道から濃淡に富んだ緑が広がっている。その上には薄く白みがかった青い空が一面に広がり、そこに雲が色彩を付ける。緑と青の2色をベースにした中に、赤・黄色・紫の花がアクセントをつける。植えられたわけでもなくのびのびと育っているその花たちは、雑草と呼ぶにはいささか美しすぎる。

アジア(日本も含む)は道の両脇に家が広がっている感じだが、トルコは街と街の間の道に家は見当たらない。あるのは自然か畑か牧場。こういった作りの方が一目を気にせず休みやすいし、ストレスも少ない。そんな道を1時間も走っていると必ず街と出会う。

街に入ると出歩いている人々が多く活気がある感じで、茶屋の店先で茶を片手に団欒している人が不思議なくらい多い。僕が通るとその人たちの目が一斉にこちらを追い、一部の人は手を振ってくれる。僕は茶屋で休むよりは商店の前でアイスを頬張りつつ腰を下ろすことが多かった。すると商店に来る人や遊び回っていた子供たちがだんだん集まって来て、トルコ語で話しかけてくる。言葉はうまく通じないけれど、やり取りは非常に楽しい。陽気で気さくな彼らと一緒にいると和むのだ。

走行3日目となる本日15時くらいにレストランを探していた。入ってみた場所は茶屋で、そこに売っているものは茶しかない。それで商売になるのだからトルコで茶を飲むことがどれだけ一般的かというものだろう。たまたまそこで働いていたトルコ人が英語を話すことが出来、レストランまで案内してくれた。その後に彼が経営しているネットカフェで小一時間パソコンをいじった後に、彼から「今日この後どうするの?うちに泊まっていく?」と聞かれた。

すでに18時を回っていたので、それはと~っても嬉しい申し出だった。お言葉に甘えて彼のネットカフェで引き続きメールの返信等をしていた。すると、家は無理そうだけど、空き家でも大丈夫、との質問。どうやら彼は旅人を家に泊め過ぎているらしく、同居している母親が「我が家は宿ではない!」と揉めているらしい。けれど母親の手料理をネットカフェまで持ってきてくれて一緒に食べる。ネットカフェで働いている彼とだべりながら23時頃まで過ごし、空き家に泊めてもらったのだった。

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モスクが街に溶け込んでいる。

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途中で出会ったドイツ人親子サイクリスト。一緒にお茶をし、「ドイツへ来る際、良かったら我が家へ寄ってくれ」とのお誘い。次に行くブルガリアの地図を貰えて助かることこの上ない。トルコはヨーロッパ全土の地図を使い迷いまくっていたから。

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トルコではしょっちゅう茶に誘われる。

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泊めてくれたトルコ人。後ろが彼の経営するネットカフェである。

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今夜の御馳走。トルコの家庭料理も美味い!

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ネットカフェで話しかけてきた3人組。

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朝は親父さんが経営するもう一方のネットカフェでカメラの充電をさせてもらった。朝8時から開けたネットカフェは学生が登校前に寄っていく場所だった。それは親父さんの人柄だろうなあ。日本のチェーン店化されたネットカフェでは見られない光景で、ネットしない学生と話す親父さんはその時間が心底楽しいんだろうと思わせる微笑みだった。

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管理人のたかです。1984年4月20日生まれ。不動産会社での開発業、自転車世界一周、地域おこし協力隊を経て、愛知県新城市の古民家で宿泊事業をはじめました。SNSでフォローしていただくと最新記事を読むことができます。よろしくお願いします。